2016年5月20日金曜日

芽吹き


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年4月号)

芽吹き


 こぷしや白木蓮の花が咲いている。寒暖がくり返される中でこの花に出会い、もうこんな季
節になったのかと驚く。都会の真中にいると意識が季節に遅れがちになり、梅、桃、菜の花、
桜と移りゆく春の列車に乗り遅れてしまう。
 数年前の春に私は紀州白浜を訪ねたことがある。四月十一日と憶えている。山頂にある小さ
な空港に飛行機が舞い降りたとき、山々はちょうど芽吹いたばかりの新緑に覆われ、いたる所
に桜が咲いていた。それはまぷしい見事な春であった。山々がかすかに鳴動し小刻みに震えて
いた。実は私自身が震えていたのだ。季節のない東京から突然大地の気を噴き上げている中に
ほうり込まれて、かなりのショック症状をおこしていたのだろう。
 これと似たようなことは紅葉の谷や大雪の原野に急に出掛けた時にもおこるが、樹木の新芽
が萌え立つこの時季がなんといっても最大だ。冬芽を覆う葉の赤みと新緑の淡い緑が混じって
かもしだす、いいようのない色調の山が見られるのはほんの数時間もない。その時そこに居合
わせるチャンスは極めて少ない。
 こういう大自然の展開に出会った時、意識がスリップする。日常性が脱落し、気が違ってい
くのではないかとさえ感じる。真の創造力というものがあるとすれば、こういう時にその種が
仕込まれているのではないかと思う。
 東京近辺では箱根にこのような雑木林が多い。チャンスは四月十三日が中心であるが、今年
は何日なのだろう。(MM)
                         1991年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、4月の初めの時季に木々が萌え立つので、人間はエネルギーを吸収されて、軽いうつ状態になるという新説を聞きました。私はまったく感じませんが、たしかに4月のその時季になると心の不調を訴える人が多い気がします。
(2016年5月20日 増田圭一郎 記)