2016年5月26日木曜日

蛙夜話


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年6月号)

蛙夜話

 
 田植えが終わるこの季節、蛙の声が一段と賑やかになる。蛙族は意外に夜更かしである。何
百何千という蛙達が一斉に高く低く波状になったり、かけ合いになったり、うるさいようなお
かしいような大合唱をはじめる。深夜に近づくにつれますます熱が入る。それもやがて午前一
時になるとパタリと止む。不思議で仕方がない。
 私はこの蛙の声を今年はちょっと違った感じで聴いている。最近知った話であるが、太平洋
戦争当初朝鮮半島で一つの大きな事件があった。韓国の人達はこれを「聖書朝鮮」事件とよん
でいる。金教臣という人が「聖書朝鮮」という雑誌に「弔蛙」という題の短文を書いた。内容
は、この冬はことに酷寒であった。その早春のまだ寒い日に滝つぼをみていると、氷塊の解け
はじめた滝つぼから蛙の死体が二匹、三匹と押し流されている。よく見ると、そのうちの幾匹
かはまだ手足を少し動かしてはい回っている。これを見て、ああ、全滅は免れたようだ……
というものである。ところがこの文が発表されるやいなや、二百人に及ぶその雑誌の同人や関
係者が日本の官憲によって逮捕され、長い間投獄されてしまった。日本が八紘一宇(世界中が
一人の家長のもとで一家のように仲良くしようということ)という美名のもとに、民族の自治
や独立を奪っていった時代の象徴的な一つの事件である。
 今、民主主義とか自由とか平和とか解放とか正義とかを掲げて、戦争肯定論が世界を席捲し
ている。それに便乗して日本の一部の為政者は「八紘一宇」のかわりに、今度は「貢献」とい
う言葉を使って軍備を正当化しようとしている。
 蛙の声が止み、静けさの中でうすら寒くなってきた。(MM)
                         1991年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
カエルは実によく風刺に使われます。どことなくユーモラスであり、儚い生き物だからでしょうか。
ぬるま湯浸かったカエルをゆっくり温度を上げると逃げ出さずに死んでしまうという、ゆでがえるは有名ですが、カエルの話しで思い出すのは、『ふたりはともだち』という絵本です。
訳をしている三木卓さんの書くものが大好きで、この本に出逢いましたが、素敵なお話しです。
(2016年5月27日 増田圭一郎 記)

バダムハントさん


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年5月号)

バダムハントさん


 バダムハントさんはモンゴル人民共和国の東洋研究所の若い研究員である。モスクワの大学
に留学し日本文学を専攻した後、東京外国語大学に学んだ日本通である。最近は日本とモンゴ
ルの文化の橋渡しのため通訳として度々来日する。彼女はなんとなく安らぎを感じる程よい日
本語を話す。敬語が使えなくなっている日本の同年代の女性よりもむしろ親近感が持ててくる。
 ところで彼女の母国語であるモンゴル語は、いま大きな変革がなされようとしている。モン
ゴルは昔から、縦書きでテレビアンテナを並べたような形の文字を使っていたが、革命後の一
九四六年にこの文字は不都合不合理という理由で、現在のソ連圈と同じキリル文字に全面改定
された。日本語をローマ字書きだけに統一してしまったようなものである。それが最近のソ連
離れの気風の中で、一九九四年には元のモンゴル文字に戻すことに決定された。文字だけでな
く外来語で変質しているモンゴル語全体の見直しも含まれている。
 昨年モンゴルの首都ウランバートルで、ある会談に臨んだ折、六十年輩の人がノートに綴っ
ていたモンゴル文字の美しさに魅せられてしまった。そのモンゴル文字を、バダムハントさん
のような若い年代の人は全く読むことも書くこともできない。
 侵略者として否定的な扱いを受けたチンギスハンが民族統一の英雄に戻り、宗教活動が解
放されるなど文字だけでなく、この国の文化基準そのものが変化している。その中でバダムハ
ントさんはモンゴル文字を一から学ぶ。ここで彼女が学んでいるものは、伝統に帰るというこ
とだけでなく文化基準そのものから自由になる心かもしれない。(MM)
                         1991年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、内モンゴル出身の女性にモンゴル文字の詩集を見せていただきました。とてもきれいでした。
モンゴルでは、ほとんど一般では使われなくなったのに、中国内の内モンゴルでは、しっかりモンゴル文字が残りました。
文字文化はとても大切です。日本でも時代とともによい言葉がどんどん失われてはいますが、まだまだ復活の可能性はあります。
今日、ひさびさに「よすが」という言葉に出逢いました。一枚の写真を思い出のよすがにする、なんていい感じです。
(2016年5月26日 増田圭一郎 記)

2016年5月20日金曜日

芽吹き


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年4月号)

芽吹き


 こぷしや白木蓮の花が咲いている。寒暖がくり返される中でこの花に出会い、もうこんな季
節になったのかと驚く。都会の真中にいると意識が季節に遅れがちになり、梅、桃、菜の花、
桜と移りゆく春の列車に乗り遅れてしまう。
 数年前の春に私は紀州白浜を訪ねたことがある。四月十一日と憶えている。山頂にある小さ
な空港に飛行機が舞い降りたとき、山々はちょうど芽吹いたばかりの新緑に覆われ、いたる所
に桜が咲いていた。それはまぷしい見事な春であった。山々がかすかに鳴動し小刻みに震えて
いた。実は私自身が震えていたのだ。季節のない東京から突然大地の気を噴き上げている中に
ほうり込まれて、かなりのショック症状をおこしていたのだろう。
 これと似たようなことは紅葉の谷や大雪の原野に急に出掛けた時にもおこるが、樹木の新芽
が萌え立つこの時季がなんといっても最大だ。冬芽を覆う葉の赤みと新緑の淡い緑が混じって
かもしだす、いいようのない色調の山が見られるのはほんの数時間もない。その時そこに居合
わせるチャンスは極めて少ない。
 こういう大自然の展開に出会った時、意識がスリップする。日常性が脱落し、気が違ってい
くのではないかとさえ感じる。真の創造力というものがあるとすれば、こういう時にその種が
仕込まれているのではないかと思う。
 東京近辺では箱根にこのような雑木林が多い。チャンスは四月十三日が中心であるが、今年
は何日なのだろう。(MM)
                         1991年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
先日、4月の初めの時季に木々が萌え立つので、人間はエネルギーを吸収されて、軽いうつ状態になるという新説を聞きました。私はまったく感じませんが、たしかに4月のその時季になると心の不調を訴える人が多い気がします。
(2016年5月20日 増田圭一郎 記)