2016年4月8日金曜日

倖せの潮流は


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年7月号)

倖せの潮流は


 地球の生命環境と民主化問題への関心が世界的規模で急速に高まっている。
 東欧からはじまった民主化運動の成功は東西の緊張を緩め、軍事産業の後退を招いた。そし
て一方では環境産業の成長を促進させている。
 軍事スパイ衛星として開発されたたくさんの宇宙衛星は、環境や災害の調査に転用して効果
をあげている。軍事産業を担ってきた日本の一企業が、カリフォルニアに莫大な数の風力発電
機を作って、環境改善への努力として新しいイメージを強調している。核エネルギーの将来が
危ぶまれ、炭酸ガス増加による地球温暖化の危機が叫ばれて、太陽光利用など代替エネルギー
を求めての技術開発競争が花盛りである。民主化が環境問題を押し上げ、環境問題が民主化を
支えて好循環をはじめたかにみえる。
 しかし、欲望の拡大に基づく政治や産業の発展という図式は変ってはいないのではないだろ
うか。だとすれば、民主化も民主化という仮面をかぶった欲望競争である。また軍事産業が環
境産業に変っただけであり、環境産業が環境を侵す、という更に大きな悲劇を創り出してしま
うおそれも充分に考えられる。
 政治の構造や産業の形体だけがいくら変っても、人間に倖せをもたらす新しい潮流とはなら
ない。人類の倖せは、人間そのもののもっと深いところのめざめを必要としているのではない
だろうか。(MM)  1990年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
昨年、フランスで開かれたCOP21(国連気候変動枠組 条約第21回締約国会議)に参加した友人に
聞きましたが、企業見本市やレセプションは、ものずごく豪華だったということです。
環境問題は完全に企業の儲けのためになってしまっています。
環境産業が環境を侵す、ということになっていると思います。 (2016年4月8日 増田圭一郎 記)