2016年4月7日木曜日

旭川の仙人


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年5月号)

旭川の仙人


 北海道の旭川市を訪れた折、大雪山の麓に仙人のような人が住んでいるから案内しよう、と
誘われた。
 案内役の来正さんは、数年前にふとしたことから、静かな山奥の庵に住む仙人のような藤原
さんの存在を知り、しばしば訪ねるようになった。仙人の庵はみごとに使いこんだ古い家で、
やさしく迎え入れてくれた藤原さん夫妻手作りのきのこ料理に舌鼓を打ち、野鳥のさえずりを
聴きながら、山の生活の体験談を伺った。
 藤原さんは、終戦で一三年間の海軍士官生活を退いたが、世間になじめず、昭和二三年に若
い夫人と二才の赤ちゃんを連れて、郷里の旭川に近いこの山奥の地に入った。入植当時は、合
掌形に板をさしかけただけの粗末な住居で、冬季には雪の中に半ば埋没する、さながら野性動
物のような生活だったらしい。藤原さん自身は、農地の開拓よりも木材の伐採など、もっぱら
山のたのまれ仕事を引受け生計を立てた。同地域に入った開拓農家の人たちは、初めは元気に
開拓をやっていたが、耕作条件の悪いこの地で成功を収めるものはなく、今では離農するか、
他界するかで誰も残っていない。
 長く話を伺ったが、藤原さんが、なぜこの地の生活を選び、何をめざしたか、ようとして分
からなかった。いや藤原夫妻には「なぜ」も「何を」もなかったのかも知れない。
 分かったのは、この大自然の地が開拓という強い目的意識を持って入ってきた人々を拒み、
あてもなく住みついた藤原さんを受け入れたという事実だけであった。(MM)  1990年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
この文章を読んで、ふと“世捨て人”という言葉が浮かびました。近ごろ隠者はいても世捨て人は、いなくなった気がします。世捨て人は、世を捨てたからといって、生を捨てたわけじゃない。
逆に生の喜びが強くなるのかもしれません。
このことについて、一昨年出版した、『ネロの木靴』(臼田夜半著)は、世間と隔絶した森の暮らしの精神性について実に素晴らしい表現をしています。
ぜひオススメです。(2016年4月6日 増田圭一郎 記)