2016年4月27日水曜日

九十五歳の平和貢献


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年2月号)

九十五歳の平和貢献


 「湾岸戦争の停戦を呼びかける一文を書いたから読んでくれ」という元気な声が受話器から
聞こえた。電話の主は長野県望月町在住の九十五歳の小林多津衛氏であった。その一文はまだ
手元に届いてないが、氏の声を聞いて即座に思い出したのは、氏が昭和二十二年に極東軍事裁
判の時にマッカーサー元帥に宛てた嘆願書である。当時、小学校長を務めていた氏は、正義と
寛容をもって臨んだはずの軍事裁判の結末が、その趣旨に反して、勝者のみを正義とし、結局
戦争を肯定してしまっていることになり、このようなことを看過ごしていたら真の教育は成り
立たない、という思いから行動をおこしたのである。
 その文中には「真の正義の眼から見れば勝者が敗者を裁く資格はありません。神の眼から見
れば勝者も敗者も同罪です 」 「私は法廷に立った日本のかつての指導者が日本の罪を深く謝する
と共に、戦勝国に内蔵されている戦争原因を堂々と指摘して、共に神に謝する態度を期待して
いましたが、日本の指導者は浅い自己弁護に終始しました。裁判する側も自らの国に内蔵して
いる戦争原因の要素を反省することなしに、日本のみを責める裁判になりました。……どうか
絞首刑を差し止めてください。切にお願いいたします」「私共日本人は、今度の戦争の罪を天に
向い地に伏して謝します。再び戦争を起こさないように、天に誓い、戦争原因を取り除くため
の渾身の努力をいたします」と切々たる思いが述べられている。
 その後四十数年にわたり、小林氏の平和への努力は絶え間なく続いている。著書『善意を世
界に』では、日本が赤十字国家として世界に貢献する具体策を提唱し、個人機関誌『協和通信』
を通して、日本人は今どうあるべきかを青年のような情熱をもって訴えておられる。(MM)
                         1991年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
日本国憲法の大きな特長は、戦争を放棄することだけでなく、世界中の戦争に対して、それが起こらないように不断の努力をするということです。世界の国が複雑に絡み合っている今、日本のみでなく世界中が戦争にならないように努力をしないと、ますます戦争はなくならないと思います。(2016年4月27日 増田圭一郎 記)