2016年4月12日火曜日

遊牧民


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年8月号)

遊牧民


 この夏モンゴル人民共和国政府の要請によって、モンゴルー日本合同編成の学術調査団「ゴ
ビプロジェクト」がモンゴル中央部の砂漠、草原、森林各地帯の自然及び生活実態調査に入っ
た。この国の総人口は二百万人。各々数億の人口をかかえる中国とソ連の二大国の間にあって、
せめぎあうこの時代に独立を保ち得たのは奇跡ともいえる。
 この国にはもう一つの奇跡がある。全土のほとんどが新石器時代から行われている遊牧の地
そのものであることだ。山羊、羊、牛、馬、らくだが放牧され、四季折々移動しながら大草原
や砂漠と共生している。国民一人当りの面積は、日本の二四〇倍である。定着型文化の日本か
ら来た調査団のメンバーはこの遊牧文化に直接触れ、しばしばカルチャーショックを受けてい
る。効率や能率のものさしがまるで違う。畑を作ろうとすれば草地が失われ砂漠化してしまう
し、改良種の家畜はこの地に馴染まない。近代化の代名詞ともいえる集約化がきかない。
 この国の人達は詩が好きだ。小さな村の歓迎集会でも自作の詩を披露する。一人の詩人が「俺
はレーニンは好きだけど、レーニンの詩は一度も作ったことはない。今日は草原に生を謳歌す
る雄牛をうたう」といってうたうと、つぎの詩人が進みでて「俺は家畜の詩など作らない。自
由で孤独な狼をうたうんだ」と言ってうたう。すると批評家がぶつぶつ言い始める。「あいつは
ヨーロッパかぶれなんだ。家畜を殺す狼をうたうなんて、まるで生活がねえんだ」と。自然の
生活と思想がみごとに連動している姿に遊牧民の魂をかいま見た思いがした。
 この調査団の活動は今年が初年度で、今後一〇年間続けられる。(MM)1990年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
遊牧民といえば、先日、帯津良一先生に内モンゴルの話しを聞きました。
見渡す限りの草原でぽつんと立つ家を見かけると、旅人はそこへ立ち寄らなければならない
ルールがあるそうです。
そのために、住んでいる人は家を留守にするときも、鍵をかけずさらに食べ物や飲み物の
用意をしていくそうです。
見ぬ旅人に、おもてなしをする。素晴らしい習慣ですね。(2016年4月11日 増田圭一郎 記)