2016年4月30日土曜日

山と里との間


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年3月号

山と里との間


 長野県の大鹿村は南アルプス西麓の山深い所にある。その村のはずれを数百メートル登った
急斜面に、へばりつくような家があり、そこに小林俊夫さんの一家が住んでいる。
 小林さんは、三頭の牛を飼い、わずかな畑を作って生活しているが、あまりに小規模なので
酪農家とか農業を営んでいるという表現はふさわしくない感じがする。
 小林さんがこの村に定住したのは、二十年前である。山と里との境にいて、小林さん一家は
里からも山からも厳しさを強いられた。二人の娘さんの学校の距離的条件や生活と勉強の両立
の問題。牛を飼い、牛乳を出荷して酪農を目指したが、小規模で政府資金の援助も受けられず、
その他の条件も重なり乳流通からはみ出していくなど、ぎりぎりの暮らしが続く。その中で山
の四季の産物が一家を助け、雑草が牛の命をつなぐ。
 ある時、小林さんは飼っている牛の乳でチーズを作り始めた。そのチーズが美味しくて評判
となった。野生の飼料と急斜面で育った牛は、山の生命力を乳の中に貯えていたのだ。流通の
中で勝負にならなかった同じ牛の乳が、チーズという形で直接人間の味覚に出合って光を放っ
たのだ。牛の飼育から始めるチーズ作りは繁多な仕事で決して生易しいものではない。だが娘
さんは学校を卒業しても今後ここで生活を続けるという。身につけた生活力への自信の上に豊
かな自然の暮らしがあるからだ。
 小林さん一家は今、里からも山からも暖かい支援と祝福を受けているように見える。(MM)
                         1991年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
アルプスの少女ハイジの世界。厳しいけれど楽しそうです。
チーズといえば共働学舎新得農場のナチュラルチーズ。代表の宮嶋望さんの3冊目の本の製作は、大詰めを迎えています。
今度の新刊は、読むと絶対チーズが食べたくなりますよ。
(2016年4月28日 増田圭一郎 記)

2016年4月27日水曜日

九十五歳の平和貢献


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年2月号)

九十五歳の平和貢献


 「湾岸戦争の停戦を呼びかける一文を書いたから読んでくれ」という元気な声が受話器から
聞こえた。電話の主は長野県望月町在住の九十五歳の小林多津衛氏であった。その一文はまだ
手元に届いてないが、氏の声を聞いて即座に思い出したのは、氏が昭和二十二年に極東軍事裁
判の時にマッカーサー元帥に宛てた嘆願書である。当時、小学校長を務めていた氏は、正義と
寛容をもって臨んだはずの軍事裁判の結末が、その趣旨に反して、勝者のみを正義とし、結局
戦争を肯定してしまっていることになり、このようなことを看過ごしていたら真の教育は成り
立たない、という思いから行動をおこしたのである。
 その文中には「真の正義の眼から見れば勝者が敗者を裁く資格はありません。神の眼から見
れば勝者も敗者も同罪です 」 「私は法廷に立った日本のかつての指導者が日本の罪を深く謝する
と共に、戦勝国に内蔵されている戦争原因を堂々と指摘して、共に神に謝する態度を期待して
いましたが、日本の指導者は浅い自己弁護に終始しました。裁判する側も自らの国に内蔵して
いる戦争原因の要素を反省することなしに、日本のみを責める裁判になりました。……どうか
絞首刑を差し止めてください。切にお願いいたします」「私共日本人は、今度の戦争の罪を天に
向い地に伏して謝します。再び戦争を起こさないように、天に誓い、戦争原因を取り除くため
の渾身の努力をいたします」と切々たる思いが述べられている。
 その後四十数年にわたり、小林氏の平和への努力は絶え間なく続いている。著書『善意を世
界に』では、日本が赤十字国家として世界に貢献する具体策を提唱し、個人機関誌『協和通信』
を通して、日本人は今どうあるべきかを青年のような情熱をもって訴えておられる。(MM)
                         1991年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
日本国憲法の大きな特長は、戦争を放棄することだけでなく、世界中の戦争に対して、それが起こらないように不断の努力をするということです。世界の国が複雑に絡み合っている今、日本のみでなく世界中が戦争にならないように努力をしないと、ますます戦争はなくならないと思います。(2016年4月27日 増田圭一郎 記)

第二の開国


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1991年1月号)

第二の開国


 二十一世紀の幕開きがいよいよ秒読みに入った。これからの十年は、過去の歴史の経験から
は類推することのできないような状況が次々に生じるだろう。
 最近、親しい中国の知人に会った。七十才近い彼は日本の大学を卒業した知日家である。空
港まで送ってくれた車中で彼はこんなことを言い出した。「私は大和魂をよく知っている。勤勉
で礼儀正しくガッツがあって、それが今日の日本の繁栄をもたらした。しかし、中国人が世界
を知って活動をはじめたなら、三十年後には日本を抜いて、もつと大きな繁栄社会を築くだろ
う。中国には十二億人のパワーがある。規模は桁ちがいだ」と。そこで私も思わず言ってしま
った。「そうかもしれない。しかし、その頃には日本人なんて一人もいませんよ。日本は出てい
く人と入ってくる人とが多過ぎて国境なんて引いていられません。そこには地球人がいるだけ
ですよ。中国は勝手に繁栄してればいい」。彼はびっくりしたような顔で一言、「ふうーん、あ
なたは面白いことを言う」と言ったきりしばらく黙ってしまった。この大ボラの吹き合い以後、
われわれ二人は更に親しさを増したように感じられた。
 ヨーロッパは経済にはじまって政治さえも統合をはじめている。今まで鎖国状態にあった共
産圏の国々も次第に体制をほどきはじめ、ソ連東部の学校では第一外国語を日本語にするとい
う。近隣の数億もの民をもつ国の人々が、この小さな島国に押し寄せてくる。いま日本は第二
の開国を迫られている。(MM)
                         1991年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
中国はこの30年で、経済的には日本を大きく超えました。ただし、繁栄しているといえるでしょうか。
そして、日本は、第二の開国をしているでしょうか。確かにアジアの他国からの入国は増え続けていますが、開国はまだまだです。
(2016年4月26日 増田圭一郎 記)

2016年4月26日火曜日

永遠性


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年12月号)

永遠性


 今年、対称的な二つの地域を相次いで訪れたのは偶然の取り合わせであった。
 一つはヨーロッパである。中でも殊に、パリの町は芸術的な建物が、どこまでも広い地域に
わたって整然と立ち並んでいる。これらは数百年を経た古い建物で、ヨーロッパ文化の粋を充
分に感じさせてくれる。また観光地スイスには、山をくり抜いた長いトンネルの中を、車に乗
ったまま人を運んでしまうカートレインや、七十年も使っているという絶壁をよじ登るケーブ
ルカーなど、莫大な資金と労力をつぎこんだ付加価値の高い施設がたくさん造られている。め
ったに壊れることのない、長持ちするこのような建造物から、恒久的、普遍的なものを求めて
やまないヨーロッパ人特有の価値観を感じる。
 一方、外モンゴルでは国のほとんどが森と草原と砂漠、それにおびただしい数の家畜や動物
ばかりで道路は未整備であり、宿泊施設はほとんどない。自らテントを持参しなければならな
い。都会のほんの一部を除き広大な土地は遊牧地で、人々は季節が変われば組立て式の住居(ゲ
ル)をたたんで移動する。去った後には人間の造ったものは何も残らない。
 文化遺産的価値や経済原理で見れば、ヨーロッパの恒久的な施設や建物は堅牢で価値が高い
のであろうが、この地では永久に生き物の呼吸が断ち切られ、生命の再生産はない。いのちの
永遠性という視点で見れば、モンゴルの遊牧地の方がはるかに価値ある存在のように思う。パ
リは三日で疲れるし、スイスも一週間で退屈したが、モンゴルの草原は一ヶ月いても飽きるこ
とがない。この対置はそのまま今の地球上の大きな公案であろう。(MM)
                         1990年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
永続的ないのちを、人間のレベルでみるか、人間を越えたレベルでみるか?当然人間のレベルでは、しょせん行き詰まるような気がします。だってほんとうに永続的を求める気がいまの人類の自我レベルではないですね。そう思って『老子(全)』(王明 校訂)を読むと、何かちょっとわかる気がします。おすすめ。(2016年4月25日 増田圭一郎 記)

2016年4月22日金曜日

いのちのサイン


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年11月号)

いのちのサイン


 毎年のことだがこの季節になると山々が予想を上回って派手な色どりとなる。秋は紅葉と決
まっているのに、実物に出会うとこんなに色どりが豊かだったのかと驚く。
 きのう日本橋のデパートで、本の装幀展の中にミロの絵が一枚置いてあって、ふと足を止め
た。その絵から出ている気迫というか気配というか、そんなものに引き寄せられている自分に
気づいた。三十年以上前に上野の美術館でゴッホの「糸杉」や「自画像」を見たときに受けた
のと同じような、いのちのひびきと共に、作者がそこに実在しているような新鮮な感情を味わ
った。年代が経てもこのようなエネルギーを出し続ける作品に出会うと、その不思議な力の要
素を考えてしまう。それは技術や巧みさとは違う。その人の教養や人格でもない。
 信州の民芸研究家のところで見せてもらった、江戸時代に作られたと思われる無銘の茶わん
にも同じ活き活きとしたものを感じた。作者は妻子を養うために一日二百個分くらいロクロを
回したに違いない。決して作品を作ろうなどとは思っていなかっただろう、とこの研究家は言
う。
 このように作者の生きていた時の生の姿が感じ取れるのは、形をもつものに限らない。音楽
や文章からも作者と同時に生きている自分を感じることがある。そんな時元気を得る。この間
もシャーリー・マクレーンのショーを観た帰りに、疲れた体が癒えているのに気がついた。そ
こには物質的な授受がないのに明らかに変化が起きる。人が深い感動や喜びや安らぎや元気を
得るこのような働きを、いのちのサインとでも呼んでみたい。(MM)
                         1990年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
いのちのサインは、人が一生懸命に無私になって作るものに宿るのでしょう。それは天然自然が時々作り出す。素晴らしい景色と同じような気がします。
(2016年4月22日 増田圭一郎 記)

ゼンドウ・オシダ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年10月号)

ゼンドウ・オシダ


 オランダにアルベルチナムという名の修道院がある。過去に幾人もの著名な神学者を生んだ
由緒ある所である。今年の八月、この修道院の一角に禅道場ができた。「ゼンドウ・オシダ」と
名づけられ、ヨーロッパの人達が押田成人神父の指導のもと命名記念の参禅会を催した。一般
の人と一緒に仏教僧、キリスト教信徒、神父なども多数参加した。これに前後して押田神父は
たくさんの修道院や教会などを歴訪し、ミサや瞑想、坐禅を通してヨーロッパの人々と熱心な
交流を続けた。
 この旅に随行して感じたことは、キリスト教に代表される現代ヨーロッパの精神文化は、行
きづまり状態にあるということである。大学の神学部の学生が激減し、教会への信徒の参加が
減少している。一方、前述の禅堂開設のように、坐禅やヨガなどを通して東洋精神の中に出口
を求めようとする人々が急増している。そこには精神の飢餓感がみて取れ、かえってその飢餓
意識の中に、行きづまりとは裏腹にヨーロッパの伝統的精神文化の深さと底力が感じ取れた。
 参禅会に集まる人達の三分の二は、正しく結跏趺坐を組むことができないので補助具などを
使う。ちょっと奇妙な光景であるが、皆真剣そのものである。ある会であまりに感動的な坐相
の女性がいたのでインタビューしてみると、この人は坐禅経験は少ないが、幼少の頃から教会
に通っている敬虔なクリスチャンであった。
 キリスト者が坐禅を組み、ほとけの姿になる。それがゼンドウ・オシダの中では少しも不自
然ではないのだ。精神の深まりは異文化を貫く、それを肌で感じた旅であった。(MM)
                         1990年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
この連続掲載の最初のころに、21世紀は宗教と芸術の時代になるという言葉がありました。
いままでの既成宗派宗教から、それぞれが深まりつつ新しい宗教の時代になると思います。
もう宗教という名のくくりはなくなるかもしれません。
シャーリー・マクレーンは自分のなかに神はいる、といいました。誰のなかにも神はいます。
 (2016年4月13日 増田圭一郎 記)

2016年4月12日火曜日

精神の跳躍


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年9月号)

精神の跳躍


 ピーター・ラッセルというイギリスのジャーナリストがいる。彼は『グローバル・ブレイン』
という著書で、地球全体を意識と情報網で構成する大きな頭脳に見立て、新しい段階へ進んで
いる意識社会の出現を示唆した。ちょうどジェイムス・ラヴロックが地球を有機的な一つの生きものとして捉える「ガイア(地球生命圏)仮説」をとなえた時期と時を同じくしていた。そしてピーターは最近、加速する社会の変化に対応し、問題を解決して行く新しい人間の意識の可能性
を説きはじめている。
 さて、私は偶然の機会からピーター・ラッセルと数度の出会いを持ったが、彼に出会って以
来、ある思いが二重写しになっていた。そこで私はピーターに一冊の本を送った。和田重正著
『もう一つの人間観』である。この本は、だいぶ古い話になるが、キューバ事件で米国とソ連
が激しく対抗し、世界中が核戦争の恐怖に怯えたとき、教育者の和田が歴史がまったく新しい
時代に入ったことを感じ、人間の精神の跳躍を訴えたものだ。
 チェルノブイリ原発事故に代表される地球上の無差別汚染は、キューバ事件の歴史的意味を
更に一般化した形にして世界の意識地図を塗り変えているのではあるまいか。人々の意識の中
で国家像が変質し、学問もその権威がゆらぎ、予想以上の速度で地球そのものの意識に変化を
与えはじめた感がある。東欧の変革もその一つだろう。
 先日、ピーターから「『もう一つの人間観』は私の今進めている新しい考えに大変良い参考に
なった」という礼状がファックス通信で届いた。(MM)1990年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
ピーター・ラッセル氏は、地球と人間の新しい進化を、“意識の進化”と位置づけました。
その進化が世界の深刻の危機を乗り越えると予言しています。
それが結実したのが、『ホワイトホール・イン・タイム』(ピーター・ラッセル著)です。
抵抗する力はあるものの、やはりじりじりとこの予言通りに動いていると思います。
さて、地球破滅に間に合うか?  (2016年4月12日 増田圭一郎 記)

遊牧民


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年8月号)

遊牧民


 この夏モンゴル人民共和国政府の要請によって、モンゴルー日本合同編成の学術調査団「ゴ
ビプロジェクト」がモンゴル中央部の砂漠、草原、森林各地帯の自然及び生活実態調査に入っ
た。この国の総人口は二百万人。各々数億の人口をかかえる中国とソ連の二大国の間にあって、
せめぎあうこの時代に独立を保ち得たのは奇跡ともいえる。
 この国にはもう一つの奇跡がある。全土のほとんどが新石器時代から行われている遊牧の地
そのものであることだ。山羊、羊、牛、馬、らくだが放牧され、四季折々移動しながら大草原
や砂漠と共生している。国民一人当りの面積は、日本の二四〇倍である。定着型文化の日本か
ら来た調査団のメンバーはこの遊牧文化に直接触れ、しばしばカルチャーショックを受けてい
る。効率や能率のものさしがまるで違う。畑を作ろうとすれば草地が失われ砂漠化してしまう
し、改良種の家畜はこの地に馴染まない。近代化の代名詞ともいえる集約化がきかない。
 この国の人達は詩が好きだ。小さな村の歓迎集会でも自作の詩を披露する。一人の詩人が「俺
はレーニンは好きだけど、レーニンの詩は一度も作ったことはない。今日は草原に生を謳歌す
る雄牛をうたう」といってうたうと、つぎの詩人が進みでて「俺は家畜の詩など作らない。自
由で孤独な狼をうたうんだ」と言ってうたう。すると批評家がぶつぶつ言い始める。「あいつは
ヨーロッパかぶれなんだ。家畜を殺す狼をうたうなんて、まるで生活がねえんだ」と。自然の
生活と思想がみごとに連動している姿に遊牧民の魂をかいま見た思いがした。
 この調査団の活動は今年が初年度で、今後一〇年間続けられる。(MM)1990年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
遊牧民といえば、先日、帯津良一先生に内モンゴルの話しを聞きました。
見渡す限りの草原でぽつんと立つ家を見かけると、旅人はそこへ立ち寄らなければならない
ルールがあるそうです。
そのために、住んでいる人は家を留守にするときも、鍵をかけずさらに食べ物や飲み物の
用意をしていくそうです。
見ぬ旅人に、おもてなしをする。素晴らしい習慣ですね。(2016年4月11日 増田圭一郎 記)

2016年4月8日金曜日

倖せの潮流は


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年7月号)

倖せの潮流は


 地球の生命環境と民主化問題への関心が世界的規模で急速に高まっている。
 東欧からはじまった民主化運動の成功は東西の緊張を緩め、軍事産業の後退を招いた。そし
て一方では環境産業の成長を促進させている。
 軍事スパイ衛星として開発されたたくさんの宇宙衛星は、環境や災害の調査に転用して効果
をあげている。軍事産業を担ってきた日本の一企業が、カリフォルニアに莫大な数の風力発電
機を作って、環境改善への努力として新しいイメージを強調している。核エネルギーの将来が
危ぶまれ、炭酸ガス増加による地球温暖化の危機が叫ばれて、太陽光利用など代替エネルギー
を求めての技術開発競争が花盛りである。民主化が環境問題を押し上げ、環境問題が民主化を
支えて好循環をはじめたかにみえる。
 しかし、欲望の拡大に基づく政治や産業の発展という図式は変ってはいないのではないだろ
うか。だとすれば、民主化も民主化という仮面をかぶった欲望競争である。また軍事産業が環
境産業に変っただけであり、環境産業が環境を侵す、という更に大きな悲劇を創り出してしま
うおそれも充分に考えられる。
 政治の構造や産業の形体だけがいくら変っても、人間に倖せをもたらす新しい潮流とはなら
ない。人類の倖せは、人間そのもののもっと深いところのめざめを必要としているのではない
だろうか。(MM)  1990年7月10日発行

(次世代のつぶやき)
昨年、フランスで開かれたCOP21(国連気候変動枠組 条約第21回締約国会議)に参加した友人に
聞きましたが、企業見本市やレセプションは、ものずごく豪華だったということです。
環境問題は完全に企業の儲けのためになってしまっています。
環境産業が環境を侵す、ということになっていると思います。 (2016年4月8日 増田圭一郎 記)

2016年4月7日木曜日

ナマステ


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年6月号)

ナマステ


 ネパールの首都カトマンドゥに長逗留する機会を得た。
 この国には16の人種が住んでいるといわれ、街を歩くと様々な顔に出会う。ついカメラを
向けると娘さんはたいてい顔を隠したり、後ろを向いてしまう。しかし、「ナマステ」と声をか
けて「ナマステ」と声が返ってくればもう大丈夫。笑顔のポーズで応えてくれる。ネパール語
では、おはよう、こんにちは、はじめまして、さようなら、ありがとう、などの挨拶が「ナマ
ステ」で事足りる。この一つの言葉がこんなに多様な場合に通じるということはどんなことな
のだろうと考えてみた。
 ヒンズー教徒が80パーセント以上といわれるネパールの人々は、生死を含めて森羅万象を
ありのままに受け入れるという民族性を持っているように感じられる。たとえば売り買いも、
客との関係で価格が大きく変わる。ちっちゃな女の子が指輪を持ってきて「50ルピー」と言
ってついてくる。そのうち「10ルピー、10ルピー」と言う。それでも取り合わないと「1
ルピー、1ルピー」と呼ぶので「1ルピーは安すぎてダメ」と言い返すと、キャッキャッと全
身をくねらせて笑いころげる。それが可愛い。タクシーでもあんたが値段をつけろと開き直る。
そこで双方が気持ちの良い、適当な値段で折り合うことになる。
 言葉や観念以前に状況があり、状況を共感しあい、そこから無理のない結論が出てくる。状
況は今ここしかない。だから一つの言葉で間に合う。「今、この時この場で出会ったお互いの存
在、これ以上価値あるものなんてありません」ナマステにはそんな響きがある。(MM)  
                                1990年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
挨拶をしなさいと、学校をはじめ、そこかしこで言います。
あまり紋切り型に言われるとと、あまのじゃくな私は嫌になりますが、
やはり、年を経るほど大切だと思えます。
挨拶やお礼には共に生きている存在の深いところでの確認みたいなものかもしれませんね。
(2016年4月7日 増田圭一郎 記)

旭川の仙人


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年5月号)

旭川の仙人


 北海道の旭川市を訪れた折、大雪山の麓に仙人のような人が住んでいるから案内しよう、と
誘われた。
 案内役の来正さんは、数年前にふとしたことから、静かな山奥の庵に住む仙人のような藤原
さんの存在を知り、しばしば訪ねるようになった。仙人の庵はみごとに使いこんだ古い家で、
やさしく迎え入れてくれた藤原さん夫妻手作りのきのこ料理に舌鼓を打ち、野鳥のさえずりを
聴きながら、山の生活の体験談を伺った。
 藤原さんは、終戦で一三年間の海軍士官生活を退いたが、世間になじめず、昭和二三年に若
い夫人と二才の赤ちゃんを連れて、郷里の旭川に近いこの山奥の地に入った。入植当時は、合
掌形に板をさしかけただけの粗末な住居で、冬季には雪の中に半ば埋没する、さながら野性動
物のような生活だったらしい。藤原さん自身は、農地の開拓よりも木材の伐採など、もっぱら
山のたのまれ仕事を引受け生計を立てた。同地域に入った開拓農家の人たちは、初めは元気に
開拓をやっていたが、耕作条件の悪いこの地で成功を収めるものはなく、今では離農するか、
他界するかで誰も残っていない。
 長く話を伺ったが、藤原さんが、なぜこの地の生活を選び、何をめざしたか、ようとして分
からなかった。いや藤原夫妻には「なぜ」も「何を」もなかったのかも知れない。
 分かったのは、この大自然の地が開拓という強い目的意識を持って入ってきた人々を拒み、
あてもなく住みついた藤原さんを受け入れたという事実だけであった。(MM)  1990年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
この文章を読んで、ふと“世捨て人”という言葉が浮かびました。近ごろ隠者はいても世捨て人は、いなくなった気がします。世捨て人は、世を捨てたからといって、生を捨てたわけじゃない。
逆に生の喜びが強くなるのかもしれません。
このことについて、一昨年出版した、『ネロの木靴』(臼田夜半著)は、世間と隔絶した森の暮らしの精神性について実に素晴らしい表現をしています。
ぜひオススメです。(2016年4月6日 増田圭一郎 記)

2016年4月5日火曜日

歴史の清算


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年4月号)

歴史の清算


 最近、三本の映画を立て続けに観た。一つは、格式と伝統を重んじる名門校の中での型破り
教師と生徒の交流を描いた『今を生きる』。もう一本は、ベトナム戦争で心身共に傷ついた一青
年の苦悩の物語「7月4日に生まれて」。そして、“すべての親たちに捧げる”という言葉で始
まり、見えない心の世界を映像化した作品『フィールド・オブ・ドリームス』である。
 これらの映画は、日本でいま人気上位にランクされている。なぜヒットしているのか考えて
みたが、これらの映画には共通するものがある。それは、すでに築かれている習慣や権威とい
うものを否定しながら、そうかといって新しい権威やイデオロギーを持ち込むのではなく、人
間一人一人の内なる感受性と視点を問題にしているという点である。このようなテーマはこれ
までの常識からすればマイナーに属するものであろう。そういうテーマのものがメジャー映画
として通ってしまう。
 例えば『7月4日に生まれて』の原作は一四年前に出版されているが、そのモチーフは一九
六〇年代に生まれたものだ。六〇年代という時代は国家主義やイデオロギーに疑いをもち始め
た時、即ち“近代”そのものに人々が疑いを持ち始めた頃といってよい。その疑いが二〇年な
いし三〇年経て市民権を獲得したわけである。これらの映画は歴史を清算する請求書といって
よいかも知れない。新しい請求書は、代替えイデオロギーという手形でなく、個々人の自覚と
いう現金精算を要求しているように思えてならない。(MM)    1990年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
映画は2時間、単行本は250ページというだいたいの相場ができています。不思議ですが、
このくらいの分量は、人間の内側を描き、観る人の心を動かすのにちょうどよいような気がします。
映画館や本で、その時間たっぷりと浸る。それは、大切な文化だと思います。
(2016年4月5日 増田圭一郎 記)

2016年4月4日月曜日

実感


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年3月号)

実感


 春が来た、春は匂いで感じるのだろうか。光の具合で感じるのだろうか。それとも暖かさだ
ろうか。
 今朝、明るい色のセーターを手にしている自分に気がついた。自分の感じからすると、春を
感じたから明るい色のセーターを選んでいるのではなく、明るい色のセーターを選んでいる自
分に春を教えられたわけだ。
 この頃、夕焼けを見て「明日はいい天気になりそうだ」という心のときめきを感じることが
少なくなった。天気予報で晴と出ても「明日は晴れであるから気分はいいだろうなあ」と意識
はするが、しあわせ感がない。機械や道具、数字や文字、映像などの間接情報にたより過ぎる
と実感の薄い生活になる。
 友人がスリランカに旅行した時、タクシーに乗った。走り出しても速度計が動かないので、
運転手に「故障だ」と言ったら、運転手は、「スピードが自分でわからなくてどうする」と得意
げに答えた。そのユックリズムの運転手の顔は、いかにも運転していることが楽しくてしかた
がないというふうであったそうである。動力を使わずに空を飛ぶ熱気球の飛行訓練では、昇降
計を見ることを厳しく制限される。また、手や顔に感じる微妙な風の変化を読みとることを学
ぶ。安全と楽しみを大きくするために感覚や実感が優先される。
 情報化社会になって生活全般が便利、快適、安全のために構造化してしまい、自分の生身で
状況と呼応することが極めて少なくなった。それでも春はからだの内側からやってきた。(MM)                 1990年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
感性的に、行動するチャンスはますます、減ってきていると思います。先日ANAのシステム不具合で大きな障害が出ましたが、そおのように人災や天災で大規模な機械故障が起きたとき、勘が鈍った人達は、対処できるのでしょうか。イマジネーションが湧くのでしょうか。
(2016年4月4日 増田圭一郎 記)

2016年4月1日金曜日

バイカルファンド


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年2月号)

バイカルファンド

 摂氏マイナス三五度のシベリアはくらくらっとめまいがするほど寒かった。
 バイカル湖は地球上で最も透明度の高い湖である。長さ六六〇キロメートル、幅四〇〜八〇
キロメートル、最深部一七〇〇メートルのこの大水甕は地球上の淡水の五分の一を貯えている。
 ここに三年前バイカルファンドという環境保護財団が生まれた。十数年前からバイカル湖の
汚染を止めようと附近の住民が運動を起こし、ときにはストライキやデモで逮捕者を出すなど、
それは艱難を極めた活動であったらしい。運動は住民、労働者、学者、芸術家、宗教者、作家
など広汎な人々に支持されて拡まっていった。たび重なるモスクワへの陳情、世界中の環境保
護団体との交流。やがてペレストロイカの時代を迎え、ついに政府が認める財団結成となった。
 このファンドは工場排水などの水汚染の防止はもちろんのこと、森林の乱伐、動物の乱獲、
石炭鉱脈の炭坑化、農牧畜への化学物質の持ち込み、原発建設などの阻止、宣伝という具体的
な活動に加え、哲学、宗教を含めた人間の生き方そのものへまで掘りさげた徹底研究討論がな
されている。
 生態学者でこの財団の副会長であるガラジー氏にこの活動の動機をたずねると、彼は若い時
に、森の中で一人の先住民に出会った。その男は木に向かって一心に何やら語りかけている。
近づいてよく聴いてみると「ほんとうは切ってはいけないんだけれど、わたしが生きていくの
にどうしてもあんたを切らなければならない。かんべんしてくれ」と長い間問答し、その一本
の木を切った。後に彼はこのことの意味の重要さを次第に意識しはじめたのだという。(MM)                 1990年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
世界中で、木を切る(あえて伐るとはいいません)とき、言葉をかけたり、祈りを捧げていたようです。たぶん、自分もつねに生命の危険にさらされているとき、木も含めた生命はつながっていると感じる時代があったのでしょう。日本では“いただきます”という言葉が残っています。
今日、先日いただいた花束を水揚げしたまま洗面台に置きっぱなしにしてしまいました。ほんとうに申し訳なくて、ごめんね、と言って花瓶に挿しました。お花も一緒のいのちです。(2016年4月1日 増田圭一郎 記)