2016年3月30日水曜日

われに帰る


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年1月号)

われに帰る


 日々新たなり、刻々新たなり、年々新たなり、今年はどんな年になるだろう。
 最近の東欧諸国の変化は激しく、国や民族の独立への動きがますます加速している。この現
象は共産主義経済の行き詰まりから派生したという面もあろうが、単なる経済的要求やイデオ
ロギーの優劣というより、環境破壊や人間疎外にみられるような、近代文明文化そのものへの
懐疑と行き詰まりという根の深いところからきているのではないかと思う。故に今後は自由主
義諸国といわれる国々の中でも同じような現象が起こって、国、民族、そして個人が独立や自
立をめざす時代になるだろう。
 海外旅行社をやっている友人がこんな話をしてくれた。彼は旅先で、一五分か二〇分のちょ
っとした時間があった時に、同行した人達にスケッチを勧めることがある。「誰にも見せなくて
いいから、自分なりに描いてみてください」という。帰国後、一番印象に残ったところを尋ね
ると、たいていの人はスケッチをした場所を第一にあげるという。その場所が全行程の中で際
立った有名なところとか景色が良いとかいうのではないのだそうである。
 人が何かと出会うということは客観的に良い環境が整っているかどうかということよりも、
その人がふと、自分の深いところにあった本来の自分にかえったということにほかならないの
ではないか。それをしあわせというのではなかろうか。
 他に律せられるのではなく、自分の味わいで生きることができる時代が一歩一歩近づいてい
るように思えるのだが。(MM)                 1990年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
連日、新商品の話題で恐縮ですが、今度出版する『ポエタロ いのちの車輪をまわす言葉』(覚和歌子著)は、まさに“われに帰る”カードです。
カードの詩文を読むと、本来の自分が見えてくる、というより動き出すといった方がいいかもしれません。    (2016年3月30日 増田圭一郎 記)