2016年3月30日水曜日

われに帰る


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1990年1月号)

われに帰る


 日々新たなり、刻々新たなり、年々新たなり、今年はどんな年になるだろう。
 最近の東欧諸国の変化は激しく、国や民族の独立への動きがますます加速している。この現
象は共産主義経済の行き詰まりから派生したという面もあろうが、単なる経済的要求やイデオ
ロギーの優劣というより、環境破壊や人間疎外にみられるような、近代文明文化そのものへの
懐疑と行き詰まりという根の深いところからきているのではないかと思う。故に今後は自由主
義諸国といわれる国々の中でも同じような現象が起こって、国、民族、そして個人が独立や自
立をめざす時代になるだろう。
 海外旅行社をやっている友人がこんな話をしてくれた。彼は旅先で、一五分か二〇分のちょ
っとした時間があった時に、同行した人達にスケッチを勧めることがある。「誰にも見せなくて
いいから、自分なりに描いてみてください」という。帰国後、一番印象に残ったところを尋ね
ると、たいていの人はスケッチをした場所を第一にあげるという。その場所が全行程の中で際
立った有名なところとか景色が良いとかいうのではないのだそうである。
 人が何かと出会うということは客観的に良い環境が整っているかどうかということよりも、
その人がふと、自分の深いところにあった本来の自分にかえったということにほかならないの
ではないか。それをしあわせというのではなかろうか。
 他に律せられるのではなく、自分の味わいで生きることができる時代が一歩一歩近づいてい
るように思えるのだが。(MM)                 1990年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
連日、新商品の話題で恐縮ですが、今度出版する『ポエタロ いのちの車輪をまわす言葉』(覚和歌子著)は、まさに“われに帰る”カードです。
カードの詩文を読むと、本来の自分が見えてくる、というより動き出すといった方がいいかもしれません。    (2016年3月30日 増田圭一郎 記)

意識のつながり


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年12月号)

意識のつながり


 今年の世界の変わりようは激しかった。東西ベルリンの壁が突如として取り除かれたことに、
世界中の人が度胆を抜かれた。また、南西アフリカでは、初めての選挙が行われ黒人側が多数
を確保するなど、地球上人間の住むいたる所が急変している。
 筆者もこのところ、海外に出掛けることが多かったので、行く先々で社会的な激動を体験し
た。北京には天安門事件の直前直後に訪れ、リトアニアでは独立運動の熱気が噴出していたし、
アメリカインディアンを訪ねた時は、折しもローマ法王が過去のインディアンへの偏見政策を
詫びるため訪米していたり、ペルーでもゲリラ活動によって旅行予定が変更されるなど、先々
で思いもかけない社会変動に出会った。このような歴史の変化に人々の意識がついて行けるの
かと心配になるほどだ。
 こんな話を聞いたことがある。過去に芸術や科学における創造発見で大きな変革が起きた時、
遠く離れた所でお互いには何の連絡も脈絡も無いはずなのに、同時期に類似の変化を起こして
いたという。地球を一つの意識体であるとみなす発想からすれば、当然なのかもしれない。
 近ごろ人間と地球や宇宙を一つの連続意識体と考えざるを得ない現象が多い。とすれば社会
現象の変化と同時に、われわれ個体の意識も二重奏のように同時進行で変容が起こっていても
不思議はない。いま経済、社会学者は根本的なところで法則が見失われ、とまどっているとい
うが、世界で起こっている現象を見るよりも自分の内面をじっくり味わってみる方が早くて正
確にとらえられる時代かも知れない。「湧」の来年のテーマは「自分になる」となった。(MM)                           1989年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
1989年は、今から振り返っても大きな変化の年でした。今年もまた、大きな世界的な変化がまだ起きそうな気がします。
このたび、出版する『ポエタロ』(覚和歌子著)は、「世界の変化」と「内なる変化」をつなぐアンテナのようなものになるかもしれません。47枚のカードに言葉(エレメント)と詩文が書いてあるのですが、それを引いて読んでみるだけです。私はこれで変わりました。       (2016年3月29日 増田圭一郎 記)

スプーン一杯の砂糖


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年11月号)

スプーン一杯の砂糖


 季節の移り変わりは速い。ついこの間まで暑いと思っていたのに、朝晩寒いと感じるように
なった。もう少し楽しみたいと思っていた金木犀の香りもいつの間にか消えてしまっている。
 あの騒動をもたらした黒蟻達は冬籠りの準備が整ったのか、もう一匹も姿を現さない。今年
は例年よりも暑い日が長く続いたせいだろうか、秋口に入ったというのに体長十五ミリもある
黒光りした蟻達が数日間も砂糖壺めがけて押し寄せてきた。壺を移動して別のところへ隠して
も、蟻達は家中に拡散してかえって始末が悪くなる。ほうきで掃き出して、情報となりそうな
臭いを消すために雑巾で行列の跡を拭いてしまっても、また戻ってきて一日でも二日でも探し
回る。うっかりしていると足によじ登ってくるので、つまむと指に噛みつく。そのうち家人は
寝ているところまでやって来るのではないかと不安が募ってくる。薬ぎらいの我が家は殺虫剤
は置かないし、使う気にもならない。この蟻との闘争は果てることなく続くかと思われた。
 ところがこの問題は瞬時にして解決されたのである。蟻達が侵入してくる窓枠の上にスプー
ン一杯の砂糖を置いてみた。蟻はそこから引き返してしまい、家中をうろうろしていたものま
で一斉に引き上げてしまったのだ。結果的には考えてみれば何でもないことなのだけれども、
自分達の知恵と策のなさにはあきれ果ててしまったと同時に、自然というものの鮮やかさに笑
いがこみあげてきてしまった。人間は社会や自然に対してこの浅はかな対応の繰り返しをやっ
ているのではないかと思った。蟻君来年また元気で会おう。(MM)  1989年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
“スプーン一杯の砂糖”、これに掛けていると思うのですが、落合恵子さんのエッセイ集に『スプーン一杯の幸せ』という本がありました。“銀の匙”もそうですが、スプーンは幸せの象徴ですね。(2016年3月28日 増田圭一郎 記)

リトアニア


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年10月号)

リトアニア


 先頃、熱気球の仲間に招待されてソ連邦のリトアニアに行き、首都ビリニウスの空を数日間
飛行した。参加者はヨーロッパ、アメリカから十三ケ国・三十機で百名のクルーであった。こ
の国の民族独立運動が、ペレストロイカで一気に盛り上がったところで、外国人に対する歓迎
ぶりは熱狂的であり、殊にたった二人のアジアからの参加者には、新聞やテレビは特別扱いで
あった。
 空から見たピリニウス市街は古い建造物が川や森に調和して美しく、古い教会の塔の問を飛
び抜け、町はずれの菜園つきセカンドハウス村の上を飛び越えると、森と牧場と農地が果てし
なく広がっている。
 気球はまったくの風まかせであるから、遠く離れたところに予告なしに飛んで行く。突然の
空からのちん入者に農家の一家が飛び出してきて家に誘い入れ、即席のパーティーを開いて、
手作りのソーセージやチーズ、パン、ワインでもてなしてくれた。その味は豊かな農業国の底
力を感じさせるものであった。この家のテレビには、アメリカ亡命四十六年の後最近帰国した
独立運動家が、街頭で演説している姿が映しだされていた。驚いたことは、そこの家の農民か
ら沖縄基地や北方領土の問題について質問されたことで、この国の人達の世界情勢についての
知識と関心の深さであった。これに対しわれわれ日本人は、どれだけ自国の置かれた境遇や地
球の向こう側の国の出来事を捕えているだろうか。世界はいま、急速に変化しているというこ
とを実感させられた旅であった。  (MM)        1989年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
急に客人を家に招き入れて食事をもてなすことは、都市部ではとても少なくなった気がします。
隣人祭りという、フランス発祥のイベントが一時話題になりましたが、聞かなくなりました。
やはり運動として進めるものではないのでしょう。
人が心を開く、家庭が外に開く、地域が外に開く、国が外に開く、
それができる平和な世界にしたいですね。(2016年3月25日 増田圭一郎 記)

2016年3月26日土曜日

情けは人の為ならず


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年9月号)

情けは人の為ならず


 「情けは人の為ならず」ということわざがある。今までこれは「人のために情けをかけるの
はその人のためばかりでなく、やがて自分によい報いがあるものだ」という意味だと思ってい
た。ところが最近、ことに若い人は「情けをかけると相手のためにならないから情けはかけな
い方がよい」というまったく反対の意味で使うという。そこで大勢の人に聞いてみたら結果は
両方に分かれてしまう。国語辞典などははっきり前者に軍配を上げているのだが。
 さて、このことわざはいつ、誰が、本当はどんな意味を持たせて作ったのであろうか。こう
考えているうちに、どうもこれは日本語で創作したにしては不自然な言葉だと疑いを持ちはじ
めた。それではもし、漢文であったなら何と書いたであろう。
 「情 非 人 為」と書いていたのではないだろうか。
 これを「情ハ非人為」つまり、情けは人為にあらずと読んだら、前の二とおりの解釈とはま
ったく別の意味になる。情けの心は始めから備わっているもので意識的にやりくりできるもの
ではない。たとえば、ベランダから今にも落ちそうになっている幼子を見たら誰でも適否是非
善悪の判断以前に助けに走る。そのことを「惻隠の情」というが、ちょうどこのことを表して
いるのではないだろうか。
 「情けは人の為ならず」には功利的響きがあり、こう読んでいると人の世は住みにくくなる
ように思えてならない。実際の生活の中のほとんどの行為は「情非人為」なのであろう。どな
たか正確な由来を教えていただきたい。(MM)        1989年9月10日発行

(次世代のつぶやき)
新渡戸稲造の言葉に、
施せし情は人の為ならずおのがこゝろの慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても人の恩をばながく忘るな
とあります。
これも、功利ではないとはいえ、処世訓だと思います。
故事の多くに功利主義が見えるのは、世をうまく渡るための処世訓で、境地を語っているものは少ないからではないでしょうか。(2016年3月24日 増田圭一郎 記)

2016年3月25日金曜日

禁煙列車


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年7/8月号)

禁煙列車


 この六月十五日から東海道本線の全線全車両が禁煙車となった。たばこ嫌いな私は、これま
で禁煙車両が増えるたびに幸せの空間が広がったと喜んでいた。実は私は幼少の時、気管支炎
を患ったことがあり、そのためか平生はなんでもないのに、油断してたばこの充満する部屋に
長くいると気管支が重苦しくなり、しばらくの間後遺症が続くことがある。若い時から喫煙は
おろか東京の空気汚染の進行に恐怖を抱き、空気のきれいな地方に職を求めたほどで、環境問
題には早くから敏感であったのもその辺からきているのかも知れない。
 その後何の因果か今では、東海道本線で毎日都心に通うはめになってしまっている。仕事上
でも交友の場でもヘビースモーカーと会うのは苦痛なものである。しかしその人が断煙したと
きほど嬉しいことはない。
 さて、これほどたばこ嫌いな私でさえ、今回のJRの全面禁止措置にはどうも引っ掛かるも
のがある。愛煙家の人はどんな気持ちなのだろうか。公共のための禁煙といっても一両や二両
の喫煙車を残してもいいではないか、そういう声が聞こえてきそうである。嫌煙者のためだけ
でなく、喫煙者用の解放区があってもよい筈だ。どうもこの極端な禁止策のうらに施行者のエ
ゴが感じられてしかたがない。きれいで安全な環境づくりには、こんな安上がりで安易な方法
はあるまいから。だが、国民の自由裁量の生活空間という大事なものをこんなに簡単に奪って
いいものだろうか。教科書検定制度の統制強化や新型税制の設置など、いまの日本の政治をこ
の禁煙列車は象徴しているように思えてならない。(MM)
                               1989年8月10日発行

(次世代のつぶやき)
統計上はどうだかわかりませんが、まわりにたばこを吸う人がだいぶ少なくなりました。私は、かなり小さいときに叔父が断煙をする姿を見ていて、つらそうだから最初から吸うのはやめようと思ったきり、まったく興味も持ちませんでした。
ちょうどそのころ筒井康隆氏の『最後の喫煙者』という短編SFを読みました。喫煙者に対して、国全体で、警察や自衛隊まで出動させて、脅迫、私刑までして取り締まり、ついに主人公一人になるという風刺小説です。たばこは象徴ですが全体主義の恐ろしさがよく描かれています。
(2016年3月23日 増田圭一郎 記)

2016年3月22日火曜日

女人国


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年6月号)

女人国


 学生の街頭デモや路上集会が盛んになり、無気味な胎動を始めた北京で、写真家の王琦さん
から珍しい少数民族の話を聞いた。
 中国の雲南省と四川省の山深い省境に沪沽湖という湖がある。歩いて一周するとまる二日か
かるという。風光明媚なこの地には湖を囲むようにして一万人ほどの摩梭人という少数民族が
住んでおり、この人たちは昔から女人国とよばれ世界でも珍しい母系社会を営んでいる。婚姻
制度というものがなく、生まれてくる子はみんな私生児である。女性の家長のもとに家族が構
成され、十三歳で成人式が済むと女性には家や部屋が与えられろ。すべての決めごとは女性が
する。勿論毎晩の婿選びもである。招かれる男性は厳密に約束された暗号にしたがってドアを
叩いたり、小石をどこかに投げつけたりして入口を開けてもらう。一晩だけの結婚もあり、幾
晩か続くこともあるが、必ず毎朝離婚しなければならない。ある朝早く、王さんが小高い丘の
上に登ってみると、あちこちの家々から一夜の婿たちがてんでの方向にいそいそとかえってい
くのが見えて、思わず噴きだしてしまったそうである。異性問題その他万事争いごとがみられ
ない、平和そのものという暮らしぶりなのだそうである。王さんはここに暮らしているうちに、
当たり前だと思っていた婚姻制度が、むしろ滑稽で野蛮な制度だとさえ思えてきたという。
 たしかに婚姻制度は権利、所有、支配という概念と強く結びついてきた。長い歴史の中でこ
のような強烈な個性を守ってきた民族の生き方は、社会の根本を考えるのに絶好の素材である。
いま、中国には五十以上の少数民族が個性的な暮らしをしている。(MM)
                               1989年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
母系社会は、古代にはあたりまえだったようです。でも大前提に、性をはじめとする野性の欲求がないと成り立ちませんね。最近日本の若い人達は、異性に対して関心が薄いそうです。ガチガチの婚姻制度を続けると人口はますます尻つぼみかも。
(2016年3月22日 増田圭一郎 記)

2016年3月18日金曜日

薫風にのって


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年5月号)

薫風にのって


 江の島の海を色とりどりのウィンドサーフィンが埋めはじめた。本格的にはやりはじめてか
ら十年そこそこである。今では中国の天津の河でも、ペルーのパラカス海岸でもやっている。
 かなり以前の話であるが、沖縄の珊瑚の海で波をきってみごとなセーリングをしていたイン
ストラクターに極意をきいたことがある。彼は技術の一つ一つについては語らなかったが彼自
身の体験を話してくれた。
 練習を重ねているうちにいつの間にか台風のさ中に挑戦していた。そこで得たものは自分が
風になるということであった。海の上にいることも風の中にいることも忘れて風になった
とき、考えたり、風をよんだり、操作したり、バランス感覚さえ無用の長物であった。そうな
ったとき、うまくいかないという怖れがなくなっていたそうである。
 彼は八重山諸島の小さな島に住んでいて、本島まで、風のある日はまっしぐらリュックサッ
ク背中にウィンドサーフィンで買物に行く。モーターボートでは珊瑚を迂回しなければならな
いので倍の時間を要する。車検もない、免許もいらない、ガソリンも不要、痛快この上ないだ
ろう。
 近年パラセール、ハングライダー、スカイダイビングなど風のスポーツが盛んになった。土
からの隔絶と同じように、現代は風から隔離された日常生活が行き過ぎた、その反動だろうか。
 季節風や上昇気流にのって飛び立つ渡り鳥や適当な風を待って花粉を吹き出す杉や松のよう
に五月の薫風の中に出てみよう。(MM)
                               1989年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
今、セルフヒーリングカード「ポエタロ」(覚 和歌子著)製作の大詰めです。覚さんは〈千と千尋の神隠し〉の主題歌の作詞でも有名な詩人。このポエタロは、カードに書かれている詩を読むと自然とほんとうの自分自身に触れる、不思議なカードです。今回の「薫風」に合わせて、風のカードを紹介しましょう。《風》そよ風は 心のすき間をくれる 音楽を満たすための
(2016年3月18日 増田圭一郎 記)

生命力


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年4月号)

生命力


 一本のトマトの苗に、果実を二万個も実らせたという水気耕栽培の実験農場を見学した。こ
こを主宰する野澤重雄氏に直接お話をうかがうことができた。
 まず土は、多種類にわたる病原菌など、植物の成長にマイナスになる要素を持っているので
いっさい使わない。また肥料としては、有機物を使わず窒素、リン酸、カリなどの無機物を与
えろというものである。すなわち、有機物はたとえて言えば完成した建物のようなものである
から、これを植物がとりこむには、いったん解体して体内で改めて建物をつくることになる。
その解体作業は植物にとって大きな負担となるわけである。このようなマイナス要素を取り除
いていったら、植物は限りなく成長し、タフで枯れることなく虫もつかずたくさんの果実を収
穫することができた。
 実際に見たトマトはまるで樹木のようで、大きな温室いっぱいに枝を張り、赤い実を数え切
れないほどつけていた。水中にあるその根は、大釜の中のうどんの如くぎっしりつまっていた。
宇宙のはかりしれない生命の力をとことん純粋に見届けてやろうという発想が、固定観念を破
った実験となった。生命力という目に見えないものをこのような形で見せてもらえたことは、
私にとって大いに刺激となった。
 さて、普通に畑で作られているトマトはなぜあの大きさなのだろう。きっとトマトの持って
いる莫大な生命エネルギーに拮抗する目に見えないもう一方の大きな力が働いているのだろう。
その成長阻害力を単なる害と見るか、あるいは何か意味あるものと見るかは難問である。
 一度読者の皆さんにうかがってみたい。(MM)
                               1989年4月10日発行

(次世代のつぶやき)
このハイポニカ農法で育ったトマトは、確かにビックリするほど巨大で立派ですが、どことなくさびしい感じがします。フランケンシュタインが作った怪物の悲しみと同じような感じです。
(2016年3月17日 増田圭一郎 記)

2016年3月16日水曜日

春の畑


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年3月号)

春の畑


 春一番が吹いていろ。私はこの風が吹くと、古い友人の瀬戸さんの畑に行きたくなる。
 瀬戸さんの畑は箱根外輪山の東山麓にあって、二反歩余りの緩急斜面では一面のラジノクロ
ーバーの緑のキャンパスに、菜の花、すみれ、たんぽぽ、ほとけのざ、だいこんの花、おおい
ぬのふぐりなど色とりどりの花が春を描いている。その上に柑橘類をはじめ種々の果樹がそれ
ぞれ実をつける準備をはじめている。眼下には足柄平野が広がり、のんびりと酒匂(さかわ)
川が相模湾に向かって蛇行している。まさに「山川草木百花一面なり」である。この光景が現
実よりもいっとき早く想像の世界に展開して、すぐにもとんで行きたくなる。
 瀬戸さんは三十年前に健康を損ったときから、人間と食べものの関係について強い関心をも
ちはじめた。ちょうど化学農業が盛んになりはじめた頃である。忙しい会社勤めのため、幸い
にも畑は高齢のお母さんの伝統的な農法に委ねられていた。彼は仕事柄化学的情報が豊富にあ
り、健康や環境問題に関する資料をどんどん集めた。中でも福岡正信氏の自然農法については
徹底した調査研究を行ない、自分の畑にことごとく投影させた。
 彼が意識的に自然農法をとり入れてから十五年になるが、滋味豊かな畑からとれる作物は雑
草と土の臭いをいっぱいに含んだ爽やかな香りと味をもっている。みかんは一口に言って甘み
も酸味も濃い。大きな竹の子いもはほどよくなめらかでほんのり甘い。
 今年もまた鈴なりの夏みかんの木の下で、彼のお母さんが背負ってきてくれたおにぎりとた
くあんをごちそうになりながら、人類の行末など語り合う春の一日が間近い。(MM)
                               1989年3月10日発行

(次世代のつぶやき)
平地でない山裾の緩急斜面の畑は、たいていそこからの眺めがよい気がします。この文章に出てくるような畑は、あまり見かけなくなりました。
おにぎりとお茶を持って、こんな畑で半日過ごしたらいっぺんに元気になる気がします。 (2016年3月16日 増田圭一郎 記)

2016年3月15日火曜日

砂漠に種子を蒔く


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年2月号)

砂漠に種子を蒔く


 自然農法の提唱者である福岡正信さんがこのたび砂漠を緑にする種蒔き指導者として、イン
ド政府から招かれた。福岡さんは「その土地に緑が育つかどうかは人間が決めるのではなく、
種自身が決めるのだから、ただ種を蒔けばいいのです」と言う。
 氏は四十年以上も前に突然、価値などというものは人間の妄想なのだと気が付いて、人為を
次々に取り去る農業を試みた。その結果、耕さず、肥料を施さず、農薬を使わず、除草せず、
穀物や果樹野菜作りの革命的農法を確立していった。世をあげて近代科学農法を取り入れてい
く中で、自然のままの農業に没入していく氏の姿は狂気の沙汰に見えたという。
 福岡さんの自然農法の背景は無の哲学であり、あるときは禅の世界の人に共感を得ようと門
を叩いたが理解されず「ここは百姓の来るところではない」ととりあってもらえなかった。そ
の後、近年になって公害や薬害問題で自然農法自体は脚光を浴び、ひとつの社会的傾向をリー
ドしたがその哲学の本質はほとんど一般には定着せず、未だにアウトサイダー的存在である。
 ところが一昨年インドを訪れたおり、彼の地では日本と違って農業の専門家だけでなく、哲
学や宗教の分野の人たちが大いに関心を寄せ、ヒンズー教および仏教の教義とまったく一致し
ていることを理解してくれた。インドの人々は農法として技術的に多少の異論があったとして
も、その哲学において正しければ支持を惜しまないということを知って、氏は大変喜んだ。
 昨年、福岡さんの自然農法とその哲学に対して、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサ
イ賞が贈られている。(MM)
                               1989年2月10日発行

(次世代のつぶやき)
子どものころ、福岡正信さんにお菓子の缶をいただきました。チョコレートかと思ったら、何と缶の中には、何十種類もの小さな種がものすごくたくさん入っています。野菜の種でした。空いている土地にどんどん蒔きなさいと言われ道ばたや街路樹の脇に蒔きました。

福岡さんは、さらに後年粘土団子に種を入れて大量に蒔くことを思いつき、世界各地で実行されました。インドでの活躍は、『福岡先生とインド』(牧野財士著)に詳しく出ています。牧野財士さんは、日本とインドの文化的架け橋として長年活躍、福岡さんのインドの活動を強力にバックアップされていました。(2016年3月15日 増田圭一郎 記)

ネイティブ・ピープル


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1989年1月号)

ネイティブ・ピープル


 アメリカのアリゾナ州には、古くからナバホやホピと呼ばれる部族が生活を営んでいる。近
ごろ心ある人は、このような部族の人々をネイティブ・ピープルと呼び、人類の未来にとって
大切な存在であるという認識を深くしている。
 私は、この部族の地の広い草原や砂漠の台地に立って、太陽の出入りと月の出入りが映しだ
す見事な風景を数日間にわたって飽かず眺め通し、夜毎に満天の星の中に身をさらした。そう
してこの地の歴史に思いを馳せた。
 スコット・オデールという人が史実をもとに書いた、『ナバホの歌』という物語がある。昔、
平和に暮らしていたナバホの少女が、ある日突然奴隷商人のスペイン人に捕らえられて遠隔地
に連れてゆかれる。その時に、少女は背中に北極星を感じながら南へ何日歩き、東に何日歩い
たということを覚えていて、砂漠の中を確信をもって逃げ帰る場面がある。私は、この話にわ
が意を得たりとほくそ笑んだものだ。私にはいつの頃からか見知らぬ遠い所に行くと、無意識
に北極星の位置を確かめる癖があるからだ。
 この物語は、一八六〇年頃の、白人社会とインディアンと呼ばれた人々との相克が、もっと
も激しかった時代が舞台となっており、大地に焦がれるネイティプ・ピープルの心が鮮明に描
かれている。それから百余年、歴史は流れたがこの物語は終わってはいない。
 ナバホの土地を案内してくれた青年は、自分をインディアンといわずにナバホと呼んでほし
いと、はっきりいった。そして「われわれナバホは日本人を海の向こうのナバホと呼んでいる」
という。なぜ彼らが日本人をそう呼ぶのか、私にとって年越しの公案となっている。 (MM)
                               1989年1月10日発行

(次世代のつぶやき)
『ナバホの歌』と同時期の実話をもとにした小説を、小社から2004年に出版しました。『輝く星 ホピ・インディアンの少年の物語』(ジョアン・プライス著 北山耕平訳)です。捕らえられ、奴隷として売られたホピの少年が、買った白人と過ごすうちにメディスンマンと出会い成長していく物語です。この時代の背景がわかるとともに、ホピを知るのにもうってつけの本です。
(2016年3月14日 増田圭一郎 記)

2016年3月11日金曜日

創造的贈り物


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年12月号)

創造的贈り物


 メアリーはクリスマスが近づいたので、友だちのスージーに何を贈ろうかと悩んでいた。だ
ってスージーは欲しいものは何でも持っているんだから。そこでメアリーはアフリカの難民に
スージーの名前で豚を一頭送ることを思いついた。このアイディアはたちまちブームになって
スージーの豚をはじめさまざまな寄付がアフリカに送られた。
 また最近、ワシントン市街の一角に黒い大理石の長い壁ができた。これはベトナムの悲劇を
再び繰り返さないようにという、一人の日米混血女性の願いから発したアイディアである。こ
の壁はベトナム・メモリアルと名づけられた。
 南米のエクアドルは、アメリカから永久に返せないほどの大負債をしていた。この負債を、
ある自然保護団体が大がかりな募金集めをして返済した。その見返りにエクアドル政府は、一
定地域の自然保護ゾーンを作ることを約束した。
 これらは、つい数日前に、ロサンゼルスのミセスM・ファーガソンのリビングで聞いた話で
ある。
 彼女が八年前に著した『アクエリアン革命』は、アメリカをはじめ全世界で起こりつつある新
しい潮流を紹介し、ミリオンセラーとなった。そして彼女は今、新著『ニュー・コモンセンス』
を脱稿しようとしている。この本は、我々は現代文明という急行列車に乗って、断崖に向かっ
て突っ走っているのだと自覚している人々に、新しいアイディアの道を拓く意欲を与えるだろ
う。 (MM)
                               1988年12月10日発行

(次世代のつぶやき)
この当時、『アクエリアン革命』の著者、マリリン・ファーガソンさんの新著執筆を見守りがてら、5ヶ月間ロサンゼルス、マウントワシントンの彼女の家に居候しました。マリリンは脳と心の研究をして、「Brain/mind Bulletin」という雑誌を発行していました。アル・ゴアはじめ有名な政治家や思想家がお忍びで訪問してきてびっくり。『ニューコモンセンス』は、残念ながら陽の目を見ませんでしたが、『アクエリアン革命』は、いま読んでも古くありません。復刊を目指しています。
(2016年3月11日 増田圭一郎 記)

2016年3月10日木曜日

自然を守る道


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年11月号)

自然を守る道


 山梨県の三ツ峠は優美な富士山を眺められる絶好の場所である。そこで古くから山小屋を営
む中村璋さんは、自然に対する独特の愛情の持ち主であると聞いて訪ねた。そして中村さんが
撮った山の草花のスライドをたくさん見せてもらいながら、大変ショッキングな話を聞いた。
 中村さんは数日前に、ある希少な蘭科の花を数十本、鋏で摘んできたという。その花は地味
な色あいであるが、群生して開花するので目につきやすく、愛好家や金儲け目的の人に根こそ
ぎ持っていかれて根絶やしになることがあるという。そこで、今が盛りの花を涙ながらに切っ
てきたというのである。
 このような植物は、偶然ともいえるほど微妙な環境のバランスの中で何十年何百年もかけて
発生成長したものであるから、移植しても決して長生きせず絶えてしまう。
 山梨県では十八種類の採ってはいけない植物を条例で決めた。一般的によく知られているも
のでは、コマクサ、アツモリソウ、ユキワリソウ、ムシトリスミレ、キタダケキンポウゲ、キ
タダケトリカブトなどである。
 しかし県条例ができても全国全県が歩調を合わせなければ、知らずに採取、栽培してしまう
こともあるだろう。実際私の知るところでも皮肉なことに、植物愛好家、自然愛好家に禁止植
物の保有者がいる。今、毎日二種の動植物が地球上から姿を消していると言われる。自然の仕
組みは人問の手ではどうにもならない、ということをみんながほんとうに知ることしか自然を
守る道はあるまい。 (MM)
                               1988年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
山に分け入って、とてもきれいで珍しい植物を見ると、つい採ってきて庭に植えてみたくなります。
でも、まずは育ちません。仮に育ってもぜんぜん違う色の花を咲かせたりします。
いまは、庭のない暮らしなので、ささやかな野の花でも育てられる暮らしがしたいです。
(2016年3月10日 増田圭一郎 記)

2016年3月9日水曜日

北京の哲学者


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。※2月17日よりアカウントの不具合で更新ができませんでしたが、再開いたします。

(月刊「湧」1988年10月号)

北京の哲学者


 北京で三人の哲学者と楽しい懇談のひとときをもつことができた。日本の文化に多大な影響
を与えてきた中国五千年の文化の一つの頂点として、老子の思想をできるだけ純粋な形で学び
たいという長年の念願の第一歩がかなえられた。
 この哲学者たちは、とくに老子の研究家ということで紹介された方たちであるが、発掘文書
の解読など、地味な哲学の基礎研究を続けておられる。あまり人前に出ることがないのか、い
ずれも質素な身なりで、北京大学の許教授に至っては、ワイシャツの衿の布が二枚目まですり
切れているものを着用してはばからない。中国はいま、開放政策の中で経済が先行し、理工学
部の教授は人気が高く、文科系はどちらかといえば日が当らず、殊に哲学の教授は「日陰の穴
掘り」だという。しかし、雑音に悩まされることがないせいか、研究に没頭している様子で、
ういういしく、すがすがしい印象の方々である。
 そこへ日本からの訪問者が、「老子の思想の現代における価値」というテーマで、それも学識
者にでなく、一般の人に分かるように発言してみないかという注文をつけたので、三人の哲学
者は驚いた。それから六時間にわたり「反自然に向かって突っ走る近代化の中で無為自然を標
榜する老子の思想は受け入れられまい」「ではなぜ西欧の学者をして無能無意味とまで言わせた
東洋哲学をあなた方はやっているのか」など、西洋文明と東洋哲学との関係などについてさま
ざまな話し合いが続き、結局「やってみましょう」ということになった。この哲学者を東京に
招くのは二年後である。果たして早すぎるのか、遅すぎるのか。 (MM)
                               1988年10月10日発行

(次世代のつぶやき)
このときの話しは、『詳説 老子伝』(王徳有 著)『老子は生きている』(葛栄晋 著)『老子・東洋思想の大河』(許抗生 著)の3冊に結実しました。老子の思想の現代的意義が実直に書かれています。
いま、中国は経済成長に乗って、海外の書物の翻訳出版が盛んです。特に教育思想についてはオルタナティブなものがどんどん入っているそうです。
足もとの老子の思想は、現在どう見られているのでしょうか。非常に興味があります。
(2016年3月9日 増田圭一郎 記)