2016年2月9日火曜日

自らが変わる


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年5月号)

自らが変わる


 四月二十三日と二十四日に行われた「原発とめよう一万人行動」は予想をはるかに上まわる
盛りあがりをみせたと報道された。
 その記事の中で、集まった人々に対応した科学技術庁のコメントに「新しい相手が多いので
はと身構えていたが、話し合いの顔ぶれは従来と同じで拍子抜けした」というのがあった。彼
らは、原発に反対の立場をとるこの人達が、主婦を中心とした100万人の署名を集めたり、
集会のもち方が従来の反対運動とはちょっと趣きを異にしていたという状勢から、どんな人が
どんな方法で新しい原発反対の意見を携えてくるのか、少なからず不安と期待をもって、どう
対応したらいいか、身構えていたのだろう。
 たしかに最近の原発への危惧と不信の動きは、子を持った婦人層を中心に、これまでの運動
にない勢いで伝播している。次代の生命に対する責任を感じているこれらの人達は、知的な運
動の横断的広がりというより、自らのからだの深いところからつのった思いを肌で伝え合って
いる。だから従来通りの交渉やアピールだけを問題解決の手段だと考えている人には、この新
しい層の態度や言語は当分解読できないかも知れない。
 工業化も原発も一夜にしてできたのではない、国民が自らの生活要求の中からいつの間にか
作りあげてきてしまったものではなかったか。とすれば、原発推進への不信の拡大は自らの生
活への疑問でもある。原発は恐いと気づいた人達の多くは、いままでの運動の権利意識の発揚
や、論理闘争という方法を通り越して、自らの生活を根本から問い返し始めている。 (MM)
                               1988年5月10日発行

(次世代のつぶやき)
この文章を読んで、今回の311福島原発事故後の脱原発運動について思いました。事故後は確かに多くの人が一度は自らの生活を根本から問い返したに違いありません。しかし、5年たっていまどうでしょうか。都会を離れ、生活を変えた人は少なからずいますが、大多数は元とほとんど同じ生活をしているような気がします。都会型の生活をしている人の多くは、自ら主体的に生活を作っているのではなく、都会型スタイルに合わせて、なんとなく流されて生活しているのでしょう。よほど心がけないとこのスタイルから逃れられないと思います。自戒も込めて。 (2016年2月9日 増田圭一郎 記)