2016年2月10日水曜日

日本国憲法の時代


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1988年6月号)

日本国憲法の時代


 先日、鹿児島の盛泰寛さんという方から、日本の憲法の条文を思い切って並べ替えをして再
編した、カセットテープがとどけられた。それを聴いて、憲法の条文がこんなに心に響くもの
であったのかと改めておどろいた。それは何故だろう。盛さんの編集の巧みさにもよるのだろ
うが、やはりそういう時代になったという実感が大きい。

 そんなことを考えていた今日、その思いを拡大するようなテレビ報道があった。アメリカの
レーガン大統領が核兵器軍縮会議のためにモスクワ入りする模様が画面に現れ、出迎えたゴル
バチョフ書記長の挨拶の第一声が「今や人類は運命を共有している」という言葉であった。短
いメッセージの中でこの言葉を二度使っている。核兵器を大量に抱えている彼等がその恐ろし
さをもっとも良く知っているからであろう。それだけではない、経済も情報も核汚染もとめど
もなく国境を越えてしまい、腕力でバランスをとることに限界がきていることも承知のはずだ。

 もう十年も前になるが、私は葉山の海岸に住んでおられた羽仁説子さんをおたずねして、憲
法の草案が作られたころの話を伺ったことがある。戦後、憲法制定の時、羽仁さんは市川房枝
さんらとともに夜を徹して草案作成の作業にあたった。「歴史上初めて腕力を前提としない国家
が誕生する」その時の興奮を再現するように羽仁さんはお顔を紅潮させておられた。それから
十年、世界環境は急変した。腕力主義を排した日本の憲法が、政治や思想の変化に先行して、
生活実感としてはっきり人々の意識に捉えられる日がきている。 (MM)
                               1988年6月10日発行

(次世代のつぶやき)
80年代は、自民党が憲法改正を党是として掲げて創立以来、改正推進についてもっとも引いていた時代だったかもしれません。
その後30年、自民党は着々と改憲に向けて進み、ついにあと一歩というところまできました。
先週、『誰のための憲法改「正」?  -自民党草案を読み込むワクワク出前講座』(馬場利子著)を刊行しました。
311で絶望していた静岡放射能汚染測定室の馬場利子さんが、一念発起して、2年以上にわたって憲法出前講座をしてきたものをブックレットにしました。
ぜひお読みください。 (2016年2月10日 増田圭一郎 記)