2016年2月1日月曜日

エネルギー生産性


地湧社が創立以来出してきた月刊誌「湧」の1986年発行の第1号から、巻頭言を土日を除く毎日1編ずつ掲載していきます。

(月刊「湧」1987年11月号)

エネルギー生産性


 上海から洛陽まで二十時間ほどの列車の旅をした。朝目がさめると徐州であった。あたりは行けども行けども広い広い、畑々々々である。ちょうどこの数百キロメートルの間はほとんどが麦畑で、窓の外は季節が順番に出てくるように、耕起前、耕起中、種まき、そして洛陽に着く頃は発芽したてのうす緑色と変化していた。
 感嘆したのは耕起中の畑の風景である。一つの鋤を子どもも交えた七、八人が体を斜めにして懸命に引いている。どの畑もどの畑も同じようにやっているのである。たまに五十組に一つくらいは牛を一〜二頭使っているものもある。聞くところによると、この地帯はかつてトラクターを使った大規嗅農業をめざした時代もあったが、必ずしも生産が上がらず、その後の改革で畑を家単位に分割した結果、人力主体の農業になっているのだという。
 今我が国の農業の方向は省力化、集約化によって国際競争力をつけようとしている。しかし、エネルギー生産性(自然エネルギーの再生産力)で計算すると、人力農業と畜力農業と機械力農業の比は40対7対1で、人力が最も優れているといわれている。つまり、化学肥料、農薬、機械など石油に代表される持ち込みエネルギーをもとでに近代機械農業は成り立っているから、売り上げが多いのに利益の少ない会社に似ている。ましてや石油、原子力などの持ち込みエネルギーは自然からの借金であると考えれば、その累積赤字は測り知れない。
 日頃からエネルギー生産性の高いところにしか真の富はないと思っている私に、この中国の農村風景は大いなる安らぎを与えてくれた。  (MM)
                               1987年11月10日発行

(次世代のつぶやき)
エネルギー生産性のことを考えると、人力が一番効率的なのは明らかですが、少しでもいまラクをしたいと考える人が多い限り、なかなかそちらに舵を切るのがむずかしいですね。ここは、やはりやはり大きく価値観を転換しなければ、借金を重ねるだけです。昨年出した、『ワタが世界を変える』(田畑健著)は、ガンジーのチャルカの思想を中心に、今日までの綿の世界史を見ながら、このことを分かりやすく説明しています。いま目の前のラクを考えているよりも、生活全体の幸せ度をあげることにどうしていったらいいか。トルストイの『イワンの馬鹿』をいつも心に留めています。 (2016年2月1日 増田圭一郎 記)