2014年1月30日木曜日

【本の紹介とお知らせ】『あいをよる おもいをつむぐ』著者、さとううさぶろうさんの映画が上映されます。

「うさとの服」デザイナー、さとううさぶろうさんがご出演されているドキュメンタリー映画『つ・む・ぐ ~織人は風の道をゆく ~ 』が上映されます。
監督は吉岡敏朗さん。
うさぶろうさんの他に、外科医でありながら東洋医学や補完代替医療などを取り入れ、在宅医療、在宅での看取りに取り組む船戸崇史さん、「鴨川自然王国」で農を取り入れたスローライフを送りつつ、歌手として活動しているYae さんがご出演されています。

三者三様の生き方、それぞれのストーリーを、映画を通して感じられればと、私たちも楽しみに思っています。
詳しくは、ぜひ映画の公式HPをご覧になってください。http://www.tsumugu-movie.com/

地湧社では、さとううさぶろうさんの著作『あいをよる おもいをつむぐ』を2011年に出版いたしました。
この機会に、もう一度、うさぶろうさんの素敵な思いが詰まったこの本の紹介をしたいと思います。



『あいをよる おもいをつむぐ』
四六判上製/192ページ/1575円(税込)
ISBN978-4-88503-215-8
さとううさぶろうさんは、1948年、北海道生まれ。
日本で企業デザイナーを経験したのち、ベルギーの首都ブリュッセルでオートクチュールの創作に携わります。
あるときご自身に転機があり、「外見を飾るための服づくりではなく、着る人の内面が輝く、いのちのかたまりのような服をつくりたい」と、華やかなデザイナーの世界から一変、エネルギーの高い布を求めて世界中を旅します。
現在では、タイのチェンマイで「うさと」のデザイナーとして、手つむぎ手織り、天然染めの布に “宇宙の法則”をデザインし、自然をまとうような心地よい服を生み出されています。



この本では、いのちの服づくりを始めたいきさつや、宇宙の法則のデザイン、また素材を「よる・つむぐ」だけでなく、人のつながりも「よる・つむぐ」ことで見えてくる大切なことが書かれています。
地湧社がうさぶろうさんに本を出したいとお声をかけたのは、5年以上前のことです。
当初、「うさと」の服の着心地が本というかたちで伝わるか、理屈を並べただけのものになるのではないかと、うさぶろうさんは出版するべきかどうか葛藤されました。
しかし、3.11の震災を受け、ご自身の本を出すタイミングを決められました。
うさぶろうさんにしか語ることのできない「うさと」の想いと、ものづくりのすばらしさを綴ったこの本には、発刊以来、たくさんの反響が寄せられています。

今回は、地湧社に感想をお寄せいただいた方の中から、いくつかご意見をご紹介させていただきたいと思います。


※感想は読者カードでお寄せいただいたもので、掲載の可を問う欄で“はい”をお選びくださった方のものです。年齢と性別は記載させていただきました。

                    ◆◇◆
さとううさぶろうさんの熱い思いと人類の調和に向けて服を通した活動に、大いなるロマンを感じました。私もいまいる場所から地道に歩んでいこうと思いを新たにできた、たいへん素晴らしいメッセージのこもった本だと思います。(49歳、男性)
                    ◆◇◆
以前から気にはなっていた存在の「うさと」さん。私も“麻衣”という名前からか、いつかは麻で衣にかかわることをしていきたいと思っていたのですが、まさに私が理想として描いていた世界を実践している方がいらっしゃることに、純粋に服と向きあっている方と出会えたことに、とても嬉しくなりました。この本を贈ってくれた地元・石巻の彼に、ただただ感謝です。(24歳、女性)
※うさぶろうさんは震災後、石巻の方に「楽衣」という部屋着にもパジャマにもなる「うさと」の服をお渡しされています。(編集部)


                    ◆◇◆
さとううさぶろうさんの思いを知ってから、「うさと」の服がより素晴らしく思いました。愛と平和を身近なところから広められたらいいですね。(61歳、女性)
                    ◆◇◆
とてもいい本でした。「なるほど…」というだけでなく、「で、自分は(私は)どうなの?」と鋭く問いかけられました。うさぶろうさんの行動力と工夫の数々も、すごく参考(ヒント)になりました。この本が作られ、手元に届いたことに感謝です。ありがとうございました。(40歳、女性)
                    ◆◇◆
ひらがなが多く、難しい漢字にはよみがながあるので読みやすく、文章が素直でやさしく、著者の想いが「すーっ」と心に入ります。「うさと」ファンのお友達にも、精神世界が好きな方にも、おすすめしたいと思います。(47歳、女性)
                    ◆◇◆
すごくためになった。この本は、1年前、「うさと」の展示会で知っていたけど、今回の展示会で買ってみました。早く買っておくべきだった。(35歳、男性)
                    ◆◇◆
あるとき友だちの着ている服が“上等で素敵だな”と思ったのが、「うさと」の服との出会いです。そのときは「うさと」のことは知らず、もともと地湧社の本が好きだったので、この本を読み始めました。ちょうど読んでいる最中に、「うさと」の展示会が自宅近くで開催されていることを知って驚き、足を運んでみました。本に書かれていたように、一つひとつの服に作り手であるタイの女性の慎ましく美しい生活の断片が散りばめられていて、“思い”を買い手に届けるうさぶろうさんの仕事に感動しました。普段着ているものよりは高価ですが、着てみたくなり購入しました。「うさと」の服を着ていると、都会を歩いても、どこか自分が守られているような気持ちになります。(30歳、女性)
                    ◆◇◆


映画と共に、本もお手にとってくださるよう、よろしくお願いいたします。
(編集部)







2014年1月21日火曜日

【イベント】『なまけ者のさとり方』改訂増補新版出版記念=山川紘矢・亜希子ご夫妻トーク&サイン会=

(840円税込/ISBN 978-4-88503-230-1)
=『なまけ者のさとり方』改訂増補新版出版記念=

 山川紘矢・亜希子ご夫妻トーク&サイン会
「やさしいさとり方を教えます」


日時:2014年2月22日(土) 19:00~21:00 (お話&質疑応答1時間半・サイン会30分予定)
場所:代官山 蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース 
講師:山川紘矢さん 山川亜希子さん
定員:70名
主催:代官山 蔦屋書店

協力:地湧社
『なまけ者のさとり方』著者のタデウス・ゴラスさんは生涯にただ一冊だけこの本を遺しました。
 翻訳家の山川ご夫妻がこの本の版権を取得して翻訳、地湧社から出版したのが1988年です。
薄くてシンプルな本ですが現在52刷となり20万部以上売れているロングセラーとなっています。

この本をいつもカバンに入れて持ち歩いている方や、枕の下に置いて眠っている方もいるようです。
結婚式の引き出物にしたり、大切な人にプレゼントしていただいたという方からのお葉書もたくさん寄せられています。

これまでの25年間に読者の皆さまからいただいた声を参考に、文字を大きくし、ゴラスさんの写真も載せる等して、この度改訂増補新版を出版いたします。

初版当時は「自分を愛する」、「あなたはそのままでいい」ということは一般的ではありませんでした。

現在はどうでしょう?

以前のあとがきで、ぜんそくで苦しんでいた夫の紘矢さんは今、みちがえるように元気になり、妻の亜希子さんとお二人ますます翻訳家としても、作家としても活躍中です。

『アウト・オン・ア・リム』(シャーリー・マクレーン著)を日本に紹介して
日本の精神世界への扉を開いてくださったお二人に、この本がどのように皆さんに愛されてきたのか?
今だからわかるさらなる気づきの秘訣、ゴラスさんについて、そして自分のことをもっと知ってこの人生を楽しく、幸せに生きるコツを語っていただきます。

どなたさまもふるってご参加ください。

【出演者紹介】
●プロフィール
山川紘矢(やまかわ こうや)
1941
年静岡県生まれ。東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。1987年に退官後は、翻訳業に携わる。自著には『人生を変える極上の教え』(イースト・プレス)など。

山川亜希子(やまかわ あきこ)
1943
年東京都生まれ。東京大学経済学部卒。結婚後、海外生活を経験し、マッキンゼー・アンド・カンパニー、等の勤務を経て現在は夫と共に翻訳業に携わる。自著には、『宇宙で唯一の自分を大切にする方法』(大和書房)など。

二人の共訳に『アウト・オン・ア・リム』をはじめとする6冊のシャーリー・マクレーンの著作、ピーター・ラッセル著『ホワイトホール・イン・タイム』、パウロ・コエーリョ著『アルケミスト』『星の巡礼』『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(以上、地湧社)、『第五の山』(角川書店)、アイリーン・キャデイ著『フィンドフォーンの花』(日本教文社)、ロンダ・バーン著『ザ・シークレット』、ジェームズ・レッドフィールド著『聖なる予言』、OSHO著『JOY 喜び』(角川書店)、ブライアン・ワイス著『前世療法』(PHP研究所)ほか多数。
共著には『30冊の本』(PHP研究所)、『出会った人が運命の人』(マイナビ)がある。


【参加方法】
代官山 蔦屋書店さまにて、下記いずれかをお買い求めください。オンラインショップまたは電話予約可。
 ・《参加費 1000円》
 ・《改訂新版書籍『なまけ者のさとり方』+参加費セット 1500円》
  (書籍代840円+参加費1000円=1840特別価格1500円)

★詳細は、代官山蔦谷書店のホームページ・イベント案内まで、アクセスしてください。

URL:http://tsite.jp/daikanyama/store-service/tsutaya.html
TEL.03-3770-2525 住所 150-0033 東京都渋谷区猿楽町17-5 












【新刊のご案内】『オオカミの声が聞こえる』(加藤多一著)

2/5発売予定で、『オオカミの声が聞こえる』(加藤多一著)が刊行されます。









四六判 192ページ 1575円(税込)
 ISBN978-4-88503-227-1


 本書は、アイヌの女性マウコが主人公の物語です。北の地を離れ都会で暮らしていたマウコは、あるとき、もういちどアイヌとしての生き方を見直そうと北海道に戻ります。図書館や博物館を巡っているうちに、100年以上も前に絶滅したといわれるエゾオオカミの剥製と出会い、メッセージを受け取ります。マウコはエゾオオカミの声をたよりに、不思議な世界へ導かれていきます。

 今回、小樽詩話会を通じて著者の加藤多一さんと親交の深い花崎皋平さんから、本書刊行によせてお言葉をいただきました。以下に全文掲載いたします。

==花崎皋平・刊行によせて「アイヌの歴史と文化」==
 この物語の主人公マウコは、三十五歳のアイヌの女性です。物語の背景を理解するために、アイヌ民族と歴史や文化についてすこしお話しします。
 アイヌは日本列島に古くから住んでいる先住民族です。住んでいるのは主に北海道ですが、東北、関東、東京などにも住んでいる人たちがいます。明治以前の北海道は、蝦夷地とよばれていました。蝦夷つまり野蛮な異人が住んでいるところとされ、アイヌは野蛮人とみなされていました。明治維新のあとは、それまで自由に利用してきた川や海や土地をすべて国有地と本州から入植してきた日本人の土地にされてしまい、「旧土人」という身分で日本の戸籍に組み入れられました。そして、鮭や鹿や熊を獲る権利も奪われ、貧困の底に落とし入れられました。また、文字を持たないため、軽蔑され、やがて消えゆく運命にある劣った人種だとみなされ、差別されました。いまでは「人種」という区別の仕方は科学的に正確ではなく、それを優等,劣等と区別するのは差別だというということが定着しています。
 今日、アイヌは民族としての誇りを取り戻し、差別と闘い、奪われた権利を回復しようと努めています。そして自分たちの文化伝統を守り、発展させつつあります。一九七〇年代から、アイヌの人びとは、国に対して、明治以来、法律として残されてきた「北海道旧土人保護法」を廃止し、新しいアイヌ民族法を作れという運動を起こしました。その結果、同法の廃止とそれに替わる「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略してアイヌ文化振興法)の制定を実現しました。しかし、この法律は、アイヌ民族の先住民族としての法的地位と、それにもとづく権利の恢復を認めていないので、引き続き先住権をめぐる闘いは続いています。
 ここ四〇年ほどの間に、アイヌの人びとの自覚とそれにもとづくアイヌ語の取り戻し、アイヌ文化の継承などの活動はめざましく発展してきています。
 この物語は、アイヌの女性であるマウコが、アイヌとしての自分を取り戻し、生きて行く道を見つけだすために、本州から北海道へ帰ってきてまなび始めるところから始まります。こうした自分の再発見と文化を学習する活動.例えば、ユカラをおぼえて演ずる、アイヌ語をまなぶ、アイヌ民族が伝承してきた歌をおぼえて歌う、独特の文様を持つ織物を織るなどの活動が,最近、盛んになりつつあります。各地のグループが集まる芸能祭や文化祭、アイヌ語の弁論大会なども行われています。
 マウコはヌプルクル、透視や予言の能力を持っている人という設定です。かつては実際にヌプルクル、霊能者が存在したことが伝えられています。
 文字を持たなかったアイヌの中には、おどろくべき記憶力を持った人がいました。たとえば、金成マツさんは、まれに見る天才で、信じがたいほどたくさんのユカラを記憶していて、ローマ字を習ってから、そのユカラをノートに書いて残しています。
この物語の中には、知里幸恵、知里真志保の名前が出てきています。知里幸恵、知里真志保の名前を知っていますか。姉の幸恵は、アイヌ民族が宝としている「アイヌ神謡集」を残した人です。弟の真志保はアイヌ語学の草分けの人です。この二人の伯母が金成マツです。
 マウコは博物館や図書館で、古くからの北海道の歴史や謎の海洋民族オホーツク人がいたことやアイヌ民族の活動などをまなびます。その歩みがマウコの自覚の深まりとしてのべられています。
 人類学者たちは、アイヌがどういう人種なのかを調べようとしました。その調査に必要だという理由で、アイヌの墓を無断で掘り返し、頭や体の骨を持ち去りました。研究という名がつけば、墓を掘り返し、死者の骨を勝手にとってもかまわないという考えでした。そうして盗られた骨は北海道大学や札幌医科大学をはじめ全国各地の大学にいまも所蔵されています。かねてからアイヌの人びとはその行為に怒りと批判を持ってきましたが、最近、そうした人骨を、身元のわかる人の骨はその遺族に、身元のわからないものは民族としての慰霊の場をつくって埋葬するために、返還せよという声が高まり、返還を求める訴訟も始められています。
骨だけではありません。血液を半強制的に採取して調べたり、裸にして濃い体毛の写真を撮って本に載せたりもしています。
この本の57ページに、チカップ美恵子さん(チカップはアイヌ語で鳥という意味、アートネームです)が、若いときに阿寒湖で写された写真を無断で『アイヌ民族誌』という本に載せられたことを知り、肖像権の侵害であり、差別的行為だと裁判に訴えた事件のことが出ています。その本の編者は、詩人でアイヌ研究でも知られた更科源蔵と、北大教授だった高倉新一郎らでした。高倉新一郎は権威あるアイヌ研究の書とされた『アイヌ政策史』の著者です。判決は、チカップさんが勝訴し、肖像権の侵害が認められました。この裁判での高倉の証言などを読むと、アイヌ民族の風習、文化(例えばニンカリという耳輪やシヌエという口唇への入れ墨)などを悪しき風習と見なし、それらを禁止し、アイヌを日本人に同化吸収させるのがよいという差別的な認識をその後も持ち続けていたことわかります。
 最近、アイヌ民族の歴史についての認識は大きく変わりつつあると言ってよいでしょう。これまでは、アイヌは狩猟採集の民で、畠を耕作したり植物を栽培したりはしなかったといわれてきました。現在では、発掘を通じて、畠を作ってきたことがわかってきています。 
 また、ロシアや清国の人びとなどとかなり広範囲の交易を行っていたこともわかってきました。交易の民という側面が知られ始めているのです。これまで、北海道の歴史といえば、徳川時代に松前藩が行った政策や場所請負制度の下での漁獲と本州への輸出など、日本人の活動だけが中心でした。
 そして、和人(北海道ではアイヌなど他民族、外国人を除いたいわゆる日本人をこう呼び習わしています)が行った搾取や抑圧に抵抗して立ち上がった戦いを反乱と決めつけてきました。そうした戦いのうち,大規模なものには、十五世紀のコシャマインの戦い、十七世紀シャクシャインの戦い、十八世紀のクナシリ・メナシの戦いなどがあります。コシャマインとシャクシャインは、リーダーの名、クナシリ・メナシは土地の名です。 
 アイヌは文字による文書を残さなかったので、それらの戦いの記録は、和人側のものしかなく、アイヌ自身の主張は伝承によっています。
 このごろは、「無文字社会」が、決して歴史や文化を持たなかったのではないことがわかってきています。これからますますこれまで知られていなかった歴史や文化が知られるようになってくるでしょう。世界各地の先住民の歴史や文化を調べて報告する活動が多くなり、その魅力が伝えられつつあります。そうした報告を読むと、いわゆる文明人が文明を獲得したかわりに失ったものが多くあることに気がつきます。文明人にはない視力、聴力、予知能力、感受力などです。マウコが受け継いでいるとされているヌプルクルの能力というのも、作者が考え出したファンタジーの産物なのではなく、実際にそういう力を持った人がいたと伝えられています。南米の先住民たちは、日々、動物、植物はもとより、山や川や雲、風などと会話しながら暮らしていると語っています。
 アイヌ文化をまなんでいると、アイヌ語の地名が、いたるところに細かくつけられていることに気がつきます。地名は土地の形状にちなんでつけられているだけではなく、日常の暮らしや出来事に基づいていたり、過去に起こった出来事の記録などさまざまで、とてもおもしろいです。アイヌ語地名は、その土地の図書館の役割を持っていたのではないか、と私は考えています。
 一、二、例を挙げてみましょう。幕末に蝦夷地をくまなく歩いて、地理を調べ、くわしい地図を作った松浦武四郎が、案内のアイヌの人から聴いて記録した地名です。摩周湖のマシュウは、マが泳ぐ、シュウは鍋、この湖は川口がなくてまるい鍋のようであり、岸辺の山が夕日を受けて湖面に影を落とすと,そのかたちが人の泳ぐようであるところから,「泳ぐ・鍋」と名がついたというのです。もう一つ。このころの根室と釧路の領分境の川はシカルンナイという名ですが、その由来は、春になると,この川がいちばん早く氷がとけ、チライ、ウグイなどを捕るのによいので,冬の間この川のことばかり思い出しているのでエシカルン(思い出す)ナイ(川)というのだと教えてもらっています。思い出す=エシカルンのエが落ちてシカルンになったのでしょう。きびしい中にものんびりした生活のたたずまいがうかがわれる名前の付け方ではありませんか。
 マウコがアイヌにめざめ、狼の言葉を聞き分け、滅びたといわれたエゾ狼のいのちをつなぎ、やがてきっと自分もアイヌのいのちをつないでゆくだろう物語を楽しんで下さい。


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 ぜひ、お近くの書店でお買い求めくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
(編集部)





【新刊のご案内】 『ネロの木靴 「フランダースの犬」ネロはなぜ自殺したのか』(臼田夜半著)

2/5発売予定で、『ネロの木靴 「フランダースの犬」ネロはなぜ自殺したのか』(臼田夜半著)が刊行されます。












四六判 192ページ 1575円(税込)
ISBN978-4-88503-228-8

 『フランダースの犬』ネロとパトラッシュの物語は、児童書やアニメでみなさんよくご存知だと思います。ネロとパトラッシュが最後に凍死する、とてもかわいそうなフィクションの物語ですが、この結末については、子どもにふさわしくないと、ハッピーエンドに書き換えられて出版されたこともありました。
 また、アニメではネロがパトラッシュを抱いて「なんだかとても眠いんだよ」と、結果として凍死したように描かれていますが、原作では、はっきり「いっしょに横になって死のう。だれもぼくたちを必要としていないんだ。ぼくたち、ふたりっきりなんだ。」と言っています。
 『ネロの木靴』は、この物語の後日談として幼なじみのアロアを主人公に書かれています。アロアはその後の人生で多くの苦難や死と向かいあううちに、ネロの死について深く考えるようになります。物語は、言葉や理屈を超え、深く魂のなかに分け入り、生きることの意味を伝えてくれます。
 現代、日本でも閉塞感のなか非常に多くの自殺者が出ています。先に死しかないような絶望のなかでどうやって希望を見出すのか。この物語がそこに一筋の光を与えてくれるような気がします。
 著者の臼田夜半さんは、以前、文科省の学習支援ソフト「いのちの大切さ」の制作で「自殺について考える」というシナリオを書くときに『フランダースの犬』をとりあげたそうです。後に自分が大きな病で死を前にし、自分自身が生きるため
の魂の気づきがあり、病気に打ち克ったそうです。そんな体験が物語の深みを出しているのかも知れません。
 子どもたちが読むには、少々むずかしいかも知れません。しかし、ぜひ中高生から読んでもらいたい、そんな思いで、出来るだけ読みやすいように、ふりがなを少し多めに入れました。ぜひ、若い方にプレゼントしてください。

(編集部)





【新刊のご案内】『葦かびの萌えいずるごとく 若き日の自己発見』(和田重正著)

2/1発売予定で、『葦かびの萌えいずるごとく 若き日の自己発見』(和田重正著)が刊行されます。










四六判 288ページ 1575円(税込)
ISBN978-4-88503-229-5


 本書は40年以上前に、柏樹社から出版された同タイトルの復刻・再版本です。著者の和田重正さんは、明治40年、鎌倉生まれ。東京帝大卒業。17歳の頃から深く人生に悩みはじめ、生きる意味とは何か、はげしく苦悶します。そして、28歳の春、死を寸前にして不思議な奇縁に恵まれ、人生の大意を知ります。以後、小田原で私塾「はじめ塾」をひらき、教育者として、また若い人たちの人生の友として活動されました。本書は、この「はじめ塾」で著者が中学生や高校生に語った「人生にとって大切なこと」をまとめたものです。読むと心がほっとし、自分をしばらない生き方ができるようになります。
 今回、著者の和田重正さんのご子息で「はじめ塾」前塾長でもある和田重宏さんから、本書刊行によせてお言葉をいただきました。以下に全文掲載いたします。

 
==和田重宏・はじめ塾前塾長「新版刊行によせて」==

 長いこと待ち望んでいた父、和田重正の「葦かびの萌えいずるごとく」が復刻、再版されることになりました。この本は、昭和30年代のはじめ塾で当時の塾生たちに「日曜の話」で語った話で構成されています。今回復刻されるということで、私もじっくりと読み直しましたが、五十年以上前に話したことなのに、色あせることなく、古さをまったく感じませんでした。しかも現在、私たちが抱えている諸問題に対する解決への核心的な答えをも提示しています。
50年前とは比較にならないくらい技術やシステムが進んだ世の中になったというのに、なぜ古さを感じないのか。そして50年先を見越すことができた洞察力は一体どこから出てきたのか。その謎解きをしようとすると、本書の随所に出てくる「いのち」という言葉が浮かびあがってきます。父は、この「いのち」は「生物学的な生命」とは違うと言っています。つまり父は、目に見えない説明のできない全体性を捉える元を「いのち」と呼んだのではないかと思われます。
 父がテレビの取材を受けた時に、肩書や名刺を持たなかったために、「市井の教育者」などという肩書を勝手につけられたことがあります。その時に父が「教育だけをしているのではないんだがなあ」と独り呟いていたことを覚えています。それは、専門がもてはやされ、その分野だけの研究に没頭し、その結果専門細分化が進み、横のつながりを失い、どの方向に向かっているのかを見失ってしまった社会に対する揶揄としての独り言でした。専門を否定しているのではありません。専門分野にだけ捉われるのではなく、常に全体を見て、人類が進むべき方向を確認しながらでなくてはならないと言いたかったのでしょう。専門を持たないというのは、裏を返せば全体を捉える専門家とも言えるわけです。その全体の関係性を明らかにするのに必要だったのが「いのち」という言葉だったようです。
 「いのち」の観点に立って世の中の動きを見ていたから、進むべき方向を見失った社会がどうなるかは容易に予見でき、現象に目を奪われることなく、そのものの核心をついた洞察ができたのです。時代が変わろうと「いのち」は変わりません。その答えは一つもぶれることなく、この行き詰まりを呈している時代には、より一層の輝きを増していると感じられたのです。
 「いのち」については、「葦かびの萌えいずるごとく」の十年後に出版した「もう一つの人間観」に詳しく書いています。今、次代を担っていかなければならない子どもや若者たちを取り巻くいじめ、不登校、勉強などの日常的な諸問題をはじめとし、人の働き方、自然環境の急激な変化、原発、企業・情報・金融のグローバル化など、すべての分野で一気に壁にぶつかっています。このような状況にあって、総合診療、有機・自然農法と言った「いのち」の側に立って取り組もうとする芽生えもある中、この本の復刻は意義あることで、今方向を見失い、明日の社会や自分がどうなるのかという漠然とした不安を抱きながら暮らしている多くの人々にとっての羅針盤となり得るでしょう。そしてまた、この本によって安心を得た大人たちが未来を生きる子どもたちを幸せへと導くことになると私は信じています。

        平成25年10月4日
      和田重正の終の棲家だった宏南庵にて


                                                                  和田重宏

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2014年1月20日月曜日

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一同