2014年1月21日火曜日

【新刊のご案内】『オオカミの声が聞こえる』(加藤多一著)

2/5発売予定で、『オオカミの声が聞こえる』(加藤多一著)が刊行されます。









四六判 192ページ 1575円(税込)
 ISBN978-4-88503-227-1


 本書は、アイヌの女性マウコが主人公の物語です。北の地を離れ都会で暮らしていたマウコは、あるとき、もういちどアイヌとしての生き方を見直そうと北海道に戻ります。図書館や博物館を巡っているうちに、100年以上も前に絶滅したといわれるエゾオオカミの剥製と出会い、メッセージを受け取ります。マウコはエゾオオカミの声をたよりに、不思議な世界へ導かれていきます。

 今回、小樽詩話会を通じて著者の加藤多一さんと親交の深い花崎皋平さんから、本書刊行によせてお言葉をいただきました。以下に全文掲載いたします。

==花崎皋平・刊行によせて「アイヌの歴史と文化」==
 この物語の主人公マウコは、三十五歳のアイヌの女性です。物語の背景を理解するために、アイヌ民族と歴史や文化についてすこしお話しします。
 アイヌは日本列島に古くから住んでいる先住民族です。住んでいるのは主に北海道ですが、東北、関東、東京などにも住んでいる人たちがいます。明治以前の北海道は、蝦夷地とよばれていました。蝦夷つまり野蛮な異人が住んでいるところとされ、アイヌは野蛮人とみなされていました。明治維新のあとは、それまで自由に利用してきた川や海や土地をすべて国有地と本州から入植してきた日本人の土地にされてしまい、「旧土人」という身分で日本の戸籍に組み入れられました。そして、鮭や鹿や熊を獲る権利も奪われ、貧困の底に落とし入れられました。また、文字を持たないため、軽蔑され、やがて消えゆく運命にある劣った人種だとみなされ、差別されました。いまでは「人種」という区別の仕方は科学的に正確ではなく、それを優等,劣等と区別するのは差別だというということが定着しています。
 今日、アイヌは民族としての誇りを取り戻し、差別と闘い、奪われた権利を回復しようと努めています。そして自分たちの文化伝統を守り、発展させつつあります。一九七〇年代から、アイヌの人びとは、国に対して、明治以来、法律として残されてきた「北海道旧土人保護法」を廃止し、新しいアイヌ民族法を作れという運動を起こしました。その結果、同法の廃止とそれに替わる「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略してアイヌ文化振興法)の制定を実現しました。しかし、この法律は、アイヌ民族の先住民族としての法的地位と、それにもとづく権利の恢復を認めていないので、引き続き先住権をめぐる闘いは続いています。
 ここ四〇年ほどの間に、アイヌの人びとの自覚とそれにもとづくアイヌ語の取り戻し、アイヌ文化の継承などの活動はめざましく発展してきています。
 この物語は、アイヌの女性であるマウコが、アイヌとしての自分を取り戻し、生きて行く道を見つけだすために、本州から北海道へ帰ってきてまなび始めるところから始まります。こうした自分の再発見と文化を学習する活動.例えば、ユカラをおぼえて演ずる、アイヌ語をまなぶ、アイヌ民族が伝承してきた歌をおぼえて歌う、独特の文様を持つ織物を織るなどの活動が,最近、盛んになりつつあります。各地のグループが集まる芸能祭や文化祭、アイヌ語の弁論大会なども行われています。
 マウコはヌプルクル、透視や予言の能力を持っている人という設定です。かつては実際にヌプルクル、霊能者が存在したことが伝えられています。
 文字を持たなかったアイヌの中には、おどろくべき記憶力を持った人がいました。たとえば、金成マツさんは、まれに見る天才で、信じがたいほどたくさんのユカラを記憶していて、ローマ字を習ってから、そのユカラをノートに書いて残しています。
この物語の中には、知里幸恵、知里真志保の名前が出てきています。知里幸恵、知里真志保の名前を知っていますか。姉の幸恵は、アイヌ民族が宝としている「アイヌ神謡集」を残した人です。弟の真志保はアイヌ語学の草分けの人です。この二人の伯母が金成マツです。
 マウコは博物館や図書館で、古くからの北海道の歴史や謎の海洋民族オホーツク人がいたことやアイヌ民族の活動などをまなびます。その歩みがマウコの自覚の深まりとしてのべられています。
 人類学者たちは、アイヌがどういう人種なのかを調べようとしました。その調査に必要だという理由で、アイヌの墓を無断で掘り返し、頭や体の骨を持ち去りました。研究という名がつけば、墓を掘り返し、死者の骨を勝手にとってもかまわないという考えでした。そうして盗られた骨は北海道大学や札幌医科大学をはじめ全国各地の大学にいまも所蔵されています。かねてからアイヌの人びとはその行為に怒りと批判を持ってきましたが、最近、そうした人骨を、身元のわかる人の骨はその遺族に、身元のわからないものは民族としての慰霊の場をつくって埋葬するために、返還せよという声が高まり、返還を求める訴訟も始められています。
骨だけではありません。血液を半強制的に採取して調べたり、裸にして濃い体毛の写真を撮って本に載せたりもしています。
この本の57ページに、チカップ美恵子さん(チカップはアイヌ語で鳥という意味、アートネームです)が、若いときに阿寒湖で写された写真を無断で『アイヌ民族誌』という本に載せられたことを知り、肖像権の侵害であり、差別的行為だと裁判に訴えた事件のことが出ています。その本の編者は、詩人でアイヌ研究でも知られた更科源蔵と、北大教授だった高倉新一郎らでした。高倉新一郎は権威あるアイヌ研究の書とされた『アイヌ政策史』の著者です。判決は、チカップさんが勝訴し、肖像権の侵害が認められました。この裁判での高倉の証言などを読むと、アイヌ民族の風習、文化(例えばニンカリという耳輪やシヌエという口唇への入れ墨)などを悪しき風習と見なし、それらを禁止し、アイヌを日本人に同化吸収させるのがよいという差別的な認識をその後も持ち続けていたことわかります。
 最近、アイヌ民族の歴史についての認識は大きく変わりつつあると言ってよいでしょう。これまでは、アイヌは狩猟採集の民で、畠を耕作したり植物を栽培したりはしなかったといわれてきました。現在では、発掘を通じて、畠を作ってきたことがわかってきています。 
 また、ロシアや清国の人びとなどとかなり広範囲の交易を行っていたこともわかってきました。交易の民という側面が知られ始めているのです。これまで、北海道の歴史といえば、徳川時代に松前藩が行った政策や場所請負制度の下での漁獲と本州への輸出など、日本人の活動だけが中心でした。
 そして、和人(北海道ではアイヌなど他民族、外国人を除いたいわゆる日本人をこう呼び習わしています)が行った搾取や抑圧に抵抗して立ち上がった戦いを反乱と決めつけてきました。そうした戦いのうち,大規模なものには、十五世紀のコシャマインの戦い、十七世紀シャクシャインの戦い、十八世紀のクナシリ・メナシの戦いなどがあります。コシャマインとシャクシャインは、リーダーの名、クナシリ・メナシは土地の名です。 
 アイヌは文字による文書を残さなかったので、それらの戦いの記録は、和人側のものしかなく、アイヌ自身の主張は伝承によっています。
 このごろは、「無文字社会」が、決して歴史や文化を持たなかったのではないことがわかってきています。これからますますこれまで知られていなかった歴史や文化が知られるようになってくるでしょう。世界各地の先住民の歴史や文化を調べて報告する活動が多くなり、その魅力が伝えられつつあります。そうした報告を読むと、いわゆる文明人が文明を獲得したかわりに失ったものが多くあることに気がつきます。文明人にはない視力、聴力、予知能力、感受力などです。マウコが受け継いでいるとされているヌプルクルの能力というのも、作者が考え出したファンタジーの産物なのではなく、実際にそういう力を持った人がいたと伝えられています。南米の先住民たちは、日々、動物、植物はもとより、山や川や雲、風などと会話しながら暮らしていると語っています。
 アイヌ文化をまなんでいると、アイヌ語の地名が、いたるところに細かくつけられていることに気がつきます。地名は土地の形状にちなんでつけられているだけではなく、日常の暮らしや出来事に基づいていたり、過去に起こった出来事の記録などさまざまで、とてもおもしろいです。アイヌ語地名は、その土地の図書館の役割を持っていたのではないか、と私は考えています。
 一、二、例を挙げてみましょう。幕末に蝦夷地をくまなく歩いて、地理を調べ、くわしい地図を作った松浦武四郎が、案内のアイヌの人から聴いて記録した地名です。摩周湖のマシュウは、マが泳ぐ、シュウは鍋、この湖は川口がなくてまるい鍋のようであり、岸辺の山が夕日を受けて湖面に影を落とすと,そのかたちが人の泳ぐようであるところから,「泳ぐ・鍋」と名がついたというのです。もう一つ。このころの根室と釧路の領分境の川はシカルンナイという名ですが、その由来は、春になると,この川がいちばん早く氷がとけ、チライ、ウグイなどを捕るのによいので,冬の間この川のことばかり思い出しているのでエシカルン(思い出す)ナイ(川)というのだと教えてもらっています。思い出す=エシカルンのエが落ちてシカルンになったのでしょう。きびしい中にものんびりした生活のたたずまいがうかがわれる名前の付け方ではありませんか。
 マウコがアイヌにめざめ、狼の言葉を聞き分け、滅びたといわれたエゾ狼のいのちをつなぎ、やがてきっと自分もアイヌのいのちをつないでゆくだろう物語を楽しんで下さい。


==============================
 ぜひ、お近くの書店でお買い求めくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
(編集部)